辰蔵の射術(5)
営中の控えの間で持参した昼餉(ひるげ)を摂りおえ、茶をすすっているとき、布施十兵衛良知(よしとも 39歳 300俵)が目顔でさそってきた。
はばかりへ連れ立って入ると、
「辰蔵(たつぞう 13歳)どののことで話しあいたいから、下城をともに---」
ささやかれたので合点したものの、実を聞くまで心配になった。
剣のことなら、息子だから筋は悪くはあるまいが、弓となると、自信がなかった。
辰蔵は稽古に励んでいると、久栄(ひさえ 30歳)がいいきったが、母親のひいき目ということもある。
城につめている平蔵としては、辰蔵の武術の才を評価する機会がほとんどなかった。
まさか、おんなのことではあるまい---いや、布施どのは、最初の内室に子ができないという理由で離縁なされ、すぐに継室を迎え、たてつづけに3女もうけたことから、
「十兵衛ではなく、むっつり助兵衛というほうが正しい」
陰口を耳にしたこともあった。
布施邸が牛込白銀町の行元寺裏なので、松造(よしぞう 31歳)を、元飯田町中坂下の料亭〔美濃屋〕源右衛門方へ先行させた。
「お待ちしております」
であった。
酒がでても、布施十兵衛は、しばらくはむっつり、盃をかたむけているばかりであった。
「で、辰蔵のことですが、やはり見込み薄ですか?」
たまりかねた平蔵が苦笑とともに糸口をつけると、掌をふった十兵衛が、
「稀に見る才能の持ち主で---」
「さようですか。豚児とおもうておりましたが、鳶(とんび)が鷹を生んでおりましたか。はっ、ははは」
冗談にまぎらせたが、十兵衛はのってこなかった。
またしばらく黙っていたが、
「12歳になるむすめの丹而(にじ)が---」
また口がとまったので、
「むすめごが---?」
「辰蔵どのの嫁になりたいと申しまして---」
懐紙で首筋の汗をぬぐい、黙ってしまった。
「辰蔵は、まだ13歳ですが---」
こころでは、14歳でお芙佐(ふさ 25歳)に男にしてもらったのも、亡夫・宣雄(のぶお 40歳)の手くばりであったことにおもいいたっていた。
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【参照】2006年5月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)] (1) (2)
(憑(つ)きもののようにおれを苦しめていた性への妄想が、あれで落ちた)
「辰蔵どのはご嫡男、丹而には、養子を考えおり申す」
十兵衛としても、熟考のすえの判断であったろう。
「あい、わかりました。辰蔵にはわれからそれとのう申し聞かせます」
「いま、一つ---」
「なんでしょう?」
「辰蔵どのに、腕の力を---引分(ひきわ)けがいささか弱い」
引分けとは、左腕で弓を前へ押し、右手で弦を引く、弓術の基本動作である。
(そうだったか)
辰蔵を伴い布施宅を訪れて入門した日、使いこんでしなりのいい弓を下げわたしてくれたのは、弓の達人の目で、あれの腕を観察した上でのことであったのだ。
辰蔵の素振りのための、鉄条入りの木刀が発注された。
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