辰蔵の射術(6)
さて、辰蔵(たつぞう 13歳)である。
丹而(にじ 12歳)から
「2人だけで会える機会をおつくりください」
もちかけられ、天にものぼるほど浮きたったものの、密会の場所をおもいつかないのである。
学習塾で秘画を隠れ見し、.夢で丹而を抱いて夢精を洩らしはしているが、出合茶屋や船宿がそのようなことのための座敷を貸してくれるとはかんがえがおよばない。
布施家のまわりに寺と墓域は多いが、丹而にふさわしくないばかりか軽蔑されよう。
さりとて、父の平蔵(へいぞう 37歳)や塾の仲間に訊くわけにもいかない。
おもいあぐねていたとき、父から鉄条入りの木刀をわたされ、朝夕、素振りをとりあえず50回ずつこなすように命じられた。
「布施先生が、弓を引く腕の力をつけよとのことであった」
稽古の帰りに、密会の場所をさがして歩いた。
布施家からちょっと離れたあたり---赤城明神八幡宮の本殿裏とか済松寺の墓地はずれの加仁(かに)川のほとりなどをきょろきょろと探索したが、どれも丹而とのせっかくの密会にはふさわしくなかった。
(赤城明神社八幡宮 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
(済松寺 同上 塗り絵師:ちゅうすけ)
素振りが80回に格上げされた日の帰り、神楽坂の善国寺門前でにわか雨にあってしまい、斜(はす)向いの茶店へ飛びこむと、そこの婆さんが奥の部屋で着物と袴を脱いで水気を拭きとるがいいとすすめてくれた。
肌襦袢姿で、
「お婆独りか?」
「毘沙門天さま参りの客相手のしがない商売だでなあ」
「お婆、こんど、この部屋を1刻(2時間)ばかり)貸りられまいか?」
小粒をにぎらせた。
歯抜けの口をほころばせ、
「いいともよ。どこぞの後家さんと忍び会いかえ。このごろの若いお武家はすみにおけないねえ」
「さようではない。では頼んだぞ」
雨があがるや、2丁(200m強)と離れていない布施家へ行き、丹而に、
「明日の八ッ(午後2時)に毘沙門天門前で---」
丹而がこっくりとうなずき、双眸(りょうめ)の光がちがってきた。
一人前のおんなが逢引きの約束をし、期待をはずませている眸の輝きであった。
その夜、辰蔵は夢精をしなかった。
指でいじっているうちに、昂ぶって放射してしまっていた。
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コメント
13歳の辰蔵ちゃんと12歳の丹而ちゃんのデイトの場、ド・トゥールとか映画館とかあるでしょうが、そのころは、困ったでしょうね。
わたしたちのころだって、薬品くさい理科の実験室とか音楽教室のピアノの陰てしたもの。
投稿: tomo | 2011.06.09 05:43
そうなんです、幕臣の幼い嫡子とむすめが逢引きする場所って江戸時代には少なかった。やっと見つけたのが、麹町から移転してきていた善国寺・毘沙門堂前でした。ここだって、婆さんが面白がったから借りられた。
映画の時代劇だと、桜並木の下を2人であるくのでしょうが、12,3歳では---。おまけにー季節は初冬。
投稿: ちゅうすけ | 2011.06.09 08:47