辰蔵のいい分(7)
内輪の顔合わせ---が昼食の理由(わけ)であったが、膳がととのい、箸をとるとすぐに、今助(いますけ 36歳)が呼ばれて席をはずした。
小浪(こなみ 44歳)だけが話し相手であったが、30歳もの齢のへだたりを辰蔵(たつぞう 14歳)に感じさせなかったのは、問いかけるばかりで、小浪のほうから話題を持ちださなかったからであった。
問いかけも、平蔵(へいぞう 38歳)の日常についてのことにかぎられていたから、辰蔵のほうもとぎれることなく応えられた。
〔季四〕のことには、まったく触れなかった。
その小浪も呼ばれ、辰蔵だけがのこされ、所在なさに料理をついばんでいると、2人そろって戻ってきた。
「若さまがお尋ねの〔荒神(こうじん)〕の助太郎夫婦(めおと)の件は手前どもも、長谷川のお殿さまからおうかがいしておりやす。こうなったら、若さまと手を組んで参りやす。江戸の元締衆がお手伝いいたしやすから、気易くお声をおかけになってくだせえ」
言葉づかいはぞんざいだが、辰蔵は誠意を感じとった。
で、つい、奈々(なな 16歳)のゆくえを探してもいると打ちあけてしまった。
今助夫妻がうなずき、目とをかわしあったのを辰蔵は承知と誤解してしまった。
先刻、松造(よしぞう 32歳)の名をだしたとき、今助が席をはずしたことを辰蔵は気にもとめていなかったが、今助はすぐに遣いを御厩河岸の〔三文(さんもん)茶房〕へ平蔵の真意を訊せにやっていたのであった。
そして、辰蔵が13歳のおわりに嶋田宿で男の仲間入りをしながら不機嫌になったこと、奈々が里貴(りき 39歳)の跡継ぎとして紀州から呼ばれていること、その里貴が病いに倒れたことを知った。
奈々をあきらめさせるために辰蔵に〔荒神〕の助太郎索(さが)しをあてがったらしいと推測がついた。
小浪の提案は、奈々に代わるおんなをちらつかせることであったが、さて、長谷川の家名に傷がつかず、後をひかない相手となると、とっさにはおもいつかなかった。
食後のお茶をすすめながら、それとなく嶋田宿のことを話題にのせてみた。
小浪は、現役(いきばたらき)だったとき、本通りの袋物の〔四条屋〕へ引きこみに入っていたから、本陣〔中尾(置塩)〕のまわりの地理も記憶していた。
辰蔵を男にしたお小夜(さよ 22歳)というおんなの家の所在は訊きだしたが、さらには立ち入らなかった。
「おんなは突然、天女から夜叉に変身するので信じられない」
辰蔵が女性観を口にしたとき、小浪は、
「だからこそ、男がいばっている荒海をわたっていけるのですよ」
笑いでごまかして、辰蔵の一本気を軽くいなした。
長谷川の殿さまとは先代からのお付きあいだから、ここをご自分の家とおもい、いつなりと、茶なり食事に立ち寄ってほしいとの言葉で辰蔵を送りだしたあとの今助夫婦の会話。
「辰蔵ぼん、お小夜はんにどないな色事を教えられはったんやろ?」
「よほどにこたえたらしいな。天女から夜叉---」
「あのことでこころに傷うけるのんは、おなごにきまってや、おもうてましたん---」
「小浪が男たちから受けた仕打ちを聞かされ、わしが立ちなおらせてみせると力んだ---」
【参照】20081219[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」]
(4)
「おかしゅうおもいましてんけど---」
「抱いたら、こんなにいいものかと、うわごとを洩らしていた」
「ほんま、そないどしたんどすえ」
「このお人、芯からやさしゅう扱うてくれてはる---そやよってに、うちかて芯から感じてしもうたんどす」
「照れるから、もう、いうな。それより、長谷川さまの若のこころをいやしてあけられるおんなはいないものか」
「〔音羽(おとわ)〕の元締はんに相談してみィはったらどないどす?」
【参照】2008年10月28日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2010年8月19日~茶店〔小浪〕の女将・小浪 (イ) (ロ) (ハ) (ニ) (ホ) (へ)
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コメント
香具師の元締というと『仕掛人・藤枝梅安』シリーズの元締たちを連想しがちですが、このブログでは、利を生むアイデアをくれる平蔵を支援する人たちとして描かれています。
そういう元締もいたのでしょうね。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.08.04 05:36
香具師の元締をどう認識するかでしょうね。池波さんは、者語りに起伏をもたちせるために裏家業の仕掛け仕事の請負いなどをそせていますが、仕掛けが殺人ならば、奉行所が徹底してしらべるしおもいます。
『御定書百ヶ条』殺人は事項がありません。
それと流通の量があがってきていた鬼平の時代、利のある仕事には、元締衆はうのめたかのめだったとおもいます。平蔵の需要振興策には、協力したでしょうね・
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.04 19:19