竹節(ちくせつ)人参(4)
「松っあん。ちょっとはやいが、ここらで昼にするかね」
日光街道の草加宿の手前、八幡社への参道の入り口をすぎたところで、太作(たさく 62歳)が松造(まつぞう 22歳)に声をかけた。
(草加宿・部分 道中奉行製作『日光道中分間延絵図』)
2人は、南本所三ッ目通りの長谷川屋敷をでてから、4里(16km)ほどのあいだ、ほとんど口をきいていない。
旅は、しゃべると疲れが速い、というのが、太作のいい分で、松造は仕方なくしたがってきた。
ころあいの茶店に入り、太作が荷を預けて厠へ入ったとき、中年の男が寄ってき、
「寅(とら)どんではねえか?」
目をあわせれると、
「やっぱり、寅松どんだったか」
松造が〔からす山〕の寅松として掏摸(すり)をはたらいていたときの名で呼んだ。
【参照】2008年9月9日[中畑(なかばたけ)のお竜] (3)
「若党づくりとは考えたもんだ。それにしても、カモの爺ぃのふところにゃあ、5両(80万円)はまちげえなくへえってる---」
「〔左利(ひだりき)き〕の佐平(さへえ 30歳)どんよ。間違えないでもらいたい。おれはいまは、このあいだまで火盗改メをなさっていた長谷川さまの若党なんだよ」
「ぷッ。火盗改メとは、聞いてあきれるぜ。冗談も休みやすみにしておくれ」
「信じないなら、この場はみのがしておくが、これから先、つきまとったら、村役人か、陣屋の者に突き出すぜ」
「大きくでたな」
そのとき、太作がもどってき、
「齢(とし)をとると、厠(かわや)が近くなっていけない。おや、松っあん、お知り合いかね?」
「こちらは、掏摸の〔左利き〕の佐平兄ィというんだけど、おれが長谷川さまに仕えているといっても信じないから、村役人にとっ捕まえてもらって、佐渡の金山の水汲み人夫へ送ってもらおうかとおもっているところ---」
はやくも事情を察して、
「佐平さんとやら。松っあんは、まこと、長谷川さまの配下ですよ。目黒・行人坂の火付け犯をお召しとりになった長谷川さまのお名前は、ご存じだろう?」
「へえ---」
「わしらは、これから、日光ご奉行の菅沼攝津守さまのところへ用足しにゆくところでな。うそだとおおもいなら、いっしょについておいで。そこで捕まるのも、名誉かもしれない」
「とんでもねえ。では、寅松どん。せいぜい、気をつけてゆきねえ。この街道すじには、同職の者が多いからな」
佐平は、粕壁(かすかべ)のほうへ足早にくだっていった。
軽い昼食をとりながら、太作が、
「松っあん。いまの男は油断がならない。松っあんは、ここの宿の〔岩木屋〕へわけを話して2,3日泊まって、江戸へ引き返しな」
「太作さんは、ひとりで、どうなさる?」
「ここから鳩ヶ谷へぬけて、べつの道を行けば、待ち伏せにあわなくてすむ」
「わかった。泊まることはない。すぐに江戸ヘ戻って、殿さまのご指示をいただく。太作さんこそ、〔岩木屋〕で待っていなさるといい」
「そうするか」
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