[化粧(けわい)読みうり]相模板
嶋田宿を発(た)って3ヶ日の夕刻、小田原へ着いた。
〔窪田〕益右衛門方へ荷物を置き、すぐ近くの〔宮前(みやまえ)〕の徳右衛門(とくえもん 59歳)のところへ顔をだした。
この日のこれくらいの時刻にうかがえることは、府中から飛脚便で報らせておいた。
もっとも、宿泊したのは江尻宿であったが---。
公用で東海道を上下する幕臣は、本陣のほかには宿泊できないことも書き添えておいた。
「小田原には、もう一日滞在します」
「とりわけてのご用向きでも---?」
あいかわにずの好々爺然とした面持ちをくずさず、他人ごとをむ訊きでもしているような口調であった。
「いえ。さしあたっての用向きはありませぬ。ただ、江戸からとどくものを待ちます」
「江戸からのとどきもの---?」
「貸元あてにとどきます」
「何かの---?」
「[化粧(けわい)読みうり]という、お披露目の刷りもです」
平蔵(へいぞう 37歳)は、京都で御所役人の不正探索の囮(おとり)として、祇園の香具師(やし)の元締・〔佐阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60すき=当時)と組み、[化粧(けわい)指南読みうり]というお披露目(広告)枠つきの瓦板を板行したことを話した。
【参照】2009年8月9日[〔左阿弥(さあみ)〕の円造] (2)
「不正役人はひっかかりましたか?」
宮中の地下官人は釣りそこなったが、おお披露料という揚がりが入ってくるようになったというと、徳右衛門は笑い、
「若い身そらで、働かんでもゼニが入るようになったら、たいていは身をもちくずすものだが---」
平蔵の双眸(りょうめ)をのぞきこんだ。
その鋭さに、平蔵はおもわす、貞妙尼(じょみように 25歳=当時)との一件を洩らしてしまいそうになったが、ふみとどまった。
【参照】2009年10月11日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
江戸でも、[化粧(けわい)読みうり]を板行をすることになり、それぞれの土地(ところ)の元締衆に地割りしてまかしたところ、風聞がぜニに化けることに初めて気づいたらしく、お互い寄り合い、じかに話しあうことで、シマ争いがなくなったと告げると、膝を打ち、
「〔平塚宿の争いを、それで鎮めようというわけかな」
「いえ、平塚宿だけでは商いが小さすぎます。小田原から藤沢までで地割りしないと---」
しばらく瞑想していたが、
「:化粧(けわい)と呼びかけるからには、むすめとおなご相手だなあ」
「見栄えをよくするためには、おんなはゼニを惜しみませぬ」
「そうだが、博打うちに、おんな相手の商売ができるかな」
「香具師の元締衆も引きこみ---」
「それだけ、争いごとが減るかもな」
取りまとめがすすんだら、板元の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 50歳)をよこすというと、
「権さんがなあ」
かんがえこんだ。
それから、息子と小頭を加えての酒となり、席上で、もう一度、[化粧(けわい)読みうり]のあらましを語らせた。
| 固定リンク
「222[化粧(けわい)読みうり]」カテゴリの記事
- 別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』(4)(2011.12.26)
- 〔化粧(けわい)読みうり〕の別刷り(3)(2011.12.08)
- 別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』(7)(2011.12.29)
- 別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』(6)(2011.12.28)
- 別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』(5)(2011.12.27)
コメント