« 長谷川豊栄長者の屋敷跡(3) | トップページ | [化粧(けわい)読みうり]相模板(2) »

2011.05.18

[化粧(けわい)読みうり]相模板

嶋田宿を発(た)って3ヶ日の夕刻、小田原へ着いた。

〔窪田〕益右衛門方へ荷物を置き、すぐ近くの〔宮前(みやまえ)〕の徳右衛門(とくえもん 59歳)のところへ顔をだした。

この日のこれくらいの時刻にうかがえることは、府中から飛脚便で報らせておいた。
もっとも、宿泊したのは江尻宿であったが---。

公用で東海道を上下する幕臣は、本陣のほかには宿泊できないことも書き添えておいた。

「小田原には、もう一日滞在します」
「とりわけてのご用向きでも---?」
あいかわにずの好々爺然とした面持ちをくずさず、他人ごとをむ訊きでもしているような口調であった。

「いえ。さしあたっての用向きはありませぬ。ただ、江戸からとどくものを待ちます」
「江戸からのとどきもの---?」
「貸元あてにとどきます」
「何かの---?」
「[化粧(けわい)読みうり]という、お披露目の刷りもです」

平蔵(へいぞう 37歳)は、京都で御所役人の不正探索の囮(おとり)として、祇園の香具師(やし)の元締・〔佐阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60すき=当時)と組み、[化粧(けわい)指南読みうり]というお披露目(広告)枠つきの瓦板を板行したことを話した。

参照】2009年8月9日[〔左阿弥(さあみ)〕の円造] (

「不正役人はひっかかりましたか?」

宮中の地下官人は釣りそこなったが、おお披露料という揚がりが入ってくるようになったというと、徳右衛門は笑い、
「若い身そらで、働かんでもゼニが入るようになったら、たいていは身をもちくずすものだが---」
平蔵の双眸(りょうめ)をのぞきこんだ。

その鋭さに、平蔵はおもわす、貞妙尼(じょみように 25歳=当時)との一件を洩らしてしまいそうになったが、ふみとどまった。

参照】2009年10月11日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)] () () () () () () (

江戸でも、[化粧(けわい)読みうり]を板行をすることになり、それぞれの土地(ところ)の元締衆に地割りしてまかしたところ、風聞がぜニに化けることに初めて気づいたらしく、お互い寄り合い、じかに話しあうことで、シマ争いがなくなったと告げると、膝を打ち、
「〔平塚宿の争いを、それで鎮めようというわけかな」
「いえ、平塚宿だけでは商いが小さすぎます。小田原から藤沢までで地割りしないと---」

しばらく瞑想していたが、
「:化粧(けわい)と呼びかけるからには、むすめとおなご相手だなあ」
「見栄えをよくするためには、おんなはゼニを惜しみませぬ」
「そうだが、博打うちに、おんな相手の商売ができるかな」
「香具師の元締衆も引きこみ---」
「それだけ、争いごとが減るかもな」

取りまとめがすすんだら、板元の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 50歳)をよこすというと、
さんがなあ」
かんがえこんだ。

それから、息子と小頭を加えての酒となり、席上で、もう一度、[化粧(けわい)読みうり]のあらましを語らせた。


|

« 長谷川豊栄長者の屋敷跡(3) | トップページ | [化粧(けわい)読みうり]相模板(2) »

222[化粧(けわい)読みうり]」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 長谷川豊栄長者の屋敷跡(3) | トップページ | [化粧(けわい)読みうり]相模板(2) »