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2011.05.17

長谷川豊栄長者の屋敷跡(3)

静岡の〔鬼平クラス〕でともに学んでいる安池欣一さんが送ってくださった資料の一つ---[焼津市史考古資料調査報告書 小川(こがわ) 2003年]から、焼津市長・戸本隆雄さんの「序」の一部を引用する。


_170_2「自然や人々の営みに恵まれたこの地で、これまでどのように人々が暮らしてきたのかを知るためには、遺跡の内容を紐解くことが重要な手段のひとつです。焼津市域の平野部には、古くは弥生時代から人々の営みを見ることができますし、丘陵部にはいまだ(こ古墳がいたるところに残されています。このようにいくつもの遺跡がある中に、もちろん中世の暮らしを垣間見るための好事例もあります.。それが道場田・小川城遺跡です。
道場田・小川城遺跡は1981年から随時調査が行われてきました。これにより、戦国時代の館と集落の様相が有機的に分かってきています。全国的な考古学の大発見を挙げれば暇がありませんが、中世の館では東海地方から全国までを見渡しても、これほどまでに膨大な成果を収めて、ほぼ全容が把握できる例はさほど多くはないことに気付くでしょう。


鬼平犯科帳』の連載が『オール讀物』で始まったのは1968年の新年号からである。
松本幸四郎さん主演でテレビ化が放送されたのは1969年秋である。
焼津市が、鬼平こと---長谷川平蔵の祖先である長谷川家の居城であった小川城址の発掘を企画したこととかかわりはなかったであろうか。
あるいは、連載やテレビ化が促進剤とならなかったであろうか。

少なくとも、長谷川家に関する資料探しに火がついてことは容易に想像がつく。
もっとも、象牙の塔の人が、こんな仮説を認めるはずはないが。

報告書 小川(こがわ) 2003年]は、第4節に[小川の長谷川氏]をたて、まず[小川の法永長者]の項で、


文明8年(1467)、駿河守護今川義忠が戦死し、遺児竜王丸が4歳の幼童であったため、義忠の従兄にあたる範満が家督を望み、今川家臣がそれぞれの支持に分かれ、お家騒動に発展した。

範満の母親や祖母は関東の扇谷上杉氏の出であったので、相模守護上杉定政は家事の太田道潅を派遣して、範満を支援し竜王丸派を威圧した。

道潅は駿河に向かうに際し、伊豆の堀越公方足利政知の許に立寄り、政知の重臣上杉政憲と同道して府中に入った。

これに対し幕府は、竜王丸の母親(北川殿)の弟で、奉公衆の伊勢新九邸盛時(後の早雲庵宗瑞-北条早雲)を駿府に下向させ、内紛の調停に当たらせた。

その結果竜王丸が成人するまでの間、範満が家督を代行するということになった(『今川家譜』・家永遵嗣「戦国大名北条早雲の生涯」『奔る雲のごとく――今よみがえる北条早雲――』)

この騒動の間、竜王丸母子を匿ったの.が小川の法永長者(長谷川次郎左衛門尉正宣)である。

法永長者はこの時47歳であった。

法永長者が竜王丸母子を保護したのは、法永長者の帰依する林双院(後の林斐院)住職賢仲繁哲の要請によるものと推測される。

賢仲は「備中平氏」の出身といわれるので(『日本洞上聯燈録』八)、竜王丸の母の実家伊勢氏(伊勢氏も平氏である)と何らかの関わりがあったと思われるのである。

つまりその伊勢氏の所領は備中国荏原郷であり、同地の伊勢氏の氏寺法泉寺(岡山県井原市)は、賢仲が出家した同国草壁庄の洞松寺(岡山県矢掛町)とは同宗大源派)であり近しい間柄であった。

そうした俗縁関係から貿仲が法永長者に竜王tの保護を依頼したと考えたい。

覇停成立後、竜王丸は宇津の山の麓、泉谷(静岡市丸子)に新たに館を建てて成人÷るのを待った。

しかし中世は「自力救済」の時代であり、時が来たからといって約言通り竜王丸が当主の座につける保障はなく、竜王丸が当主となるには自らの力でその地位を奪い取るほかはないのである。

竜王丸が15歳になった長享元年(1487)伊勢量専ら竜王丸派は府中の今川館を攻めて範満を討ち取ったという(『字津山記』『今川家譜j)

こうして竜王丸は名実ともに今川家の当主となったのである.。


この今川館襲撃に、長谷川次郎左衛門正宣は力を貸したろうか。
兵力でなくても、資力は貸したと推察してもおかしくはなかろう。


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コメント

 長者といえば「屋敷」であり、「城」は違和感があります。「法永長者屋敷=小川城」はピンときませんでした。でも、堀幅 13M、 堀の内の面積 150M×80M、虎口・櫓がある。となると、立派な「軍事施設」だよという発掘者の想いは解るような気もします。

投稿: 安池 | 2011.05.17 09:06

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