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2011.04.02

長谷川家と林叟院(4)

地震で倒壊した書棚の復旧が遅々としてすすまない。
林叟院は4度ほど参詣し、ご住職からも懇切な説明をうけ、寺誌も保管していたが、散乱した資料にまぎれこんでしまっている。

といって、きょうまで6年間以上も一日も休まずにアップをつづけてきたこのブログを、ここで途切れせるのも癪である。
ネットで検索した記事をつなげながら、すすめることをお許しいただきたい。

寺史の略については、地元・焼津の七里至四方さんの概略を拝借する。

明応の津波と林叟院
http://blogs.yahoo.co.jp/pineroad184/50929793.html

林叟院を開基した法栄(ほうえい)長者(仏門に帰依後は法永)こと、長谷川正宣が、平蔵宣以(のぶため)の11代ほど前の祖にあたる。

林叟院の鐘楼
http://blogs.yahoo.co.jp/pineroad184/43558825.html

市のホーム・ページらしい、林叟院
http://www5.ocn.ne.jp/~yaidu8/n-rin.html

静岡駅ビルの7階で6年ほどつづいている「鬼平クラス」の中林正隆さんの探索記は、「井戸掘り人のリポート」の中の、
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/dig/index.html

中林さんの駿河の長谷川家の先祖調べは徹底しており、上記、「井戸掘り人のリポート」の「今川時代の長谷川氏の年表」は詳細をきわめている。

ただ、正満の年齢は、平蔵宣以よりも1歳上というのが、『寛政重修諸家譜』からの試算である。
中林さんのリポートの中の法永長者の位牌も、正満が供養したものである。
黒漆の艶が200年の歳月を感じさせない。

鬼平ファンのあいだで江戸の史跡めぐりが人気があるが、焼津の林叟院と三方ヶ原で戦死した長谷川紀伊守正長の墓がある小川(こがわ)魚港の脇にある信香院(焼津市小川3540)も、もっと重視されていいのではあるまいか。

ついでだから付記しておくと、宮城谷昌光さん『古城の風景Ⅱ 一向一揆の城 徳川の城 今川の城』(新潮文庫2010.11.01)の横地城の塩買坂の項に、今川義忠が横死する描写がある。
このとき、法栄長者の父の長重も討たれている。

法永長者の屋敷跡は、焼津市の不動院(三ヶ名町 さんがみょう)の前に碑が建っているという。
明日にでも訪ねてみようか。

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