明和4年(1767)の銕三郎(13)
芦ノ湯村の入り口からは、走らんばかりの急ぎ足になった。
しかし、仙次(せんじ 22歳)のほうが、箱根の雲助として鍛えているだけに、さすがに、速かった。
「忌中」の張り紙がでている〔めうがや〕の戸口に飛びこみ、、次右衛門夫妻に弔意をのべている男の頭ごしに、どなった。
「長谷川さまがお着きです」
その声に驚いた弔問客への断りもそこそこに、次右衛門(50歳代)は、ころがるように戸口へ走る。
姿をあらわした銕三郎(てつさぶろう 22歳)をかかえんばかりにして、
「遅うございました。長谷川さま。哀れでございました」
ささやくような小声が、たちまち涙声に変じた。
抑えていたものが、銕三郎の顔を見て、一挙に堰がきれたのだ。
聞きつけて、黒っぽい着物姿の藤六(とうろく 49歳)と女房で女中頭・都茂(とも 47歳)もとびだしてきた。
藤六は、都茂にすすぎの水をいいつけるとともに、次右衛門の躰をささえながら、やはり耳元で、
「若。よう来てくださいました。若が一昨日、お発(た)ちになることは、お殿さまから、3日前に速飛脚(はやびきゃく)便でいただいておりました。お嬢さまも、お待ちになっておりましたが---」
それきり、言葉をのんでしまった。
来たことが、なにか不都合なのかも知れないと察して、銕三郎も小声で、
「藤六。報らせてくれたこと、礼をいうぞ。あと、仙次どのの世話を頼む」
次右衛門夫妻に阿記の部屋へ導かれた。
午後には出棺ということで、阿記は棺桶の中に、両膝を前で折って、納まっていた。
蓋があけられ、目をとじ、合掌した手に数珠をかけた、死出の白装束の阿記と対面した。
昨夜、夢で会った阿記よりさらに細っていたが、死化粧の顔は、芦ノ湯小町の面影をのこしている。
その頬をそっとなぜ、
「阿記。許せ。しかし、昨夜、話しあえてよかったな」
次右衛門の女房・お満(みつ 48歳)のほうが、落ち着いていて、
「昨夜とは、どういうことでございますか?」
「小田原の宿で、夢で会ったのです。そのとき、ずいぶんとはげまし、力づけてやったのですが---」
まさか、同衾したと、言うわけにはいかなかった。
「いえ。お殿さまからのお報らせで、若さまがおいでくださると教えてましたら、お会いするまで、逝くわけにはいかない---と気張っておりましたが、かえって安心したのか、その翌朝、急にいけなくなりまして---」
死因は、風をこじらせ、肺の臓にわるい虫が入り、高熱がつづいて、衰弱したのだという。
「若さまに、福をいただいたことを、くれぐれもお礼を申しておいてくれ---と、うわごとみたいにつぶやきまして---」
蓋に釘が打たれるまえに、銕三郎は、4袋のお守を阿記の懐に入れてやった。夢で触れた乳房のように、小さく固まっているのが悲しみを大きくし、おもわず、涙をこぼれた。
父が渡してくれてた舞い金に、道場の高杉銀平(ぎんぺい)師のそれと、〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ)がとどけてよこした包みを表書きが「お見舞い」となっているのもかまわず、仏前においた。
都茂が、ちょっとと誘い、
「若さま。おつらいとはおもいますが、葬列にはお加わりにならないでくださいませ。於嘉根ちゃんの父親は、謎のままにしておいたほうがよろしいように、うちのとも話しあったのです。お嬢さまが、悲しみをこらえて、長谷川さまに報らせないでとおっしゃったのも、於嘉根ちゃんの将来をおもんぱかったからと、わたしたち夫婦は、推察いたしました」
「わかった。仰せにしたがおう。で、於嘉根は?」
「ご主人が、お会わせしないほうがよかろうと、畑宿(はたしゅく)の茗荷屋さんにお預けになりました」
「うーむ」
銕三郎は、出棺まで、4年前に宿泊し、阿記と最初の交わりをした離れで、刻(とき)をつぶすことになった。
仙次が帰るというので、もう一度、きつく問いつめたことを謝った。
仙次も、隠していたことを詫び、権七(ごんしち)親方によろしく伝えてほしい、と言って頭をさげた。
ひとりになると、阿記がもういなくなったことが、しみじみと胸にこたえてきた。
湯屋で、ぽちゃぼちゃと音をたたてて湯桶へ注いでいる温泉湯にも、阿記が裸で入ってきたときのことが、まるで昨日のことのようにおもいだされた。
食事は都茂が運んできた。
そして、跡継ぎの次太郎(じたろう 28歳)夫婦が、まもなく、あいさつにくることを伝えた。
次太郎は、阿記に似た面高(おもだか)の美顔だった。
修行に行っていた湯本の旅宿から実家へもどり、嫁・お露(つゆ 20歳)を迎え、実務を引きつぐ準備をしているとのことであった。
お露の腹は、いまにもはじけそうなほど、ふくらんでいた。
「阿記が、江戸で暮らしたいといえば、仕送りはきちんとしてやるつもりでおりました。なぜ、そうしないのか、手前どもには、納得できませんでした」
「阿記どのは、於嘉根さんを、ご自身が育った山の空気のなかで育てたかったのではないのでしょうか」
「それだけではないとおもいますが---」
「と申されると---?」
「いや。本人が口にしたことがないので、兄として、申し上げることもないと存じます」
次太郎は口をとざしたが、銕三郎は、自分が非難されているとおもった。
幕臣の体面などにこだわらないで、側室とすればよかったのに、と言いたいのであろう。
しかし、それでは、阿記の純情と誇りを傷つけることになる。
次太郎夫妻が去り、都茂が茶菓を運んできた。
「都茂さんは、葬列には加わらないのですか?」
「お嬢さんが土に埋められるところなど、見たくもありません」
「それより、次太郎さんを、どう、思います?」
「どう、って---?」
「口先上手ばかり、覚えてきてしまって---」
「都茂どの。やがて主人になるお方ですよ」
「あの人が次右衛門を名継したら、わたしたちはお勤め先を変えるつもりです」
「なんてことを---」
次太郎夫婦に子ができることは、(阿記の悩みの一つであったのかもしれない。もっと察してやるべきだった)
しきたりにしたがって、白装束姿の村の者たちが棺桶をかつぎ、つづいて遺族と親類、その前後を白と赤の紙をひらひらと貼った細棹をもった子どもたちが、村はずれの丘の上の墓地まで葬列をつくって行くのを、銕三郎は、かくれて手をあわせ、見送った。
(今日のうちにも、箱根町の宿へ移ろう)
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