〔小浪(こなみ)〕のお信(のぶ)(6)
楓川の北端---木更津河岸から往還船に乗りこんだ。
供は6年前と同じ松造(まつぞう 26歳)だが、このたぴは役務ではない。
【参照】2009年5月21日~[真浦(もうら)の伝兵衛] (1) (2) (3)
現地での探索をはかどらすよう、火盗改メ・土屋帯刀守直(もりなお 44歳 1000石)のところの筆頭与力・高遠(たかとう)(専九郎 46歳)に船番所への手くばりをしてもらおうと思ったが、事情(こと)が〔神崎(かんざき)〕の伊之松(いのまつ 40代半ば)に洩れたら、かえってお信(のぶ 36歳)の命があぶないとさとり、連絡(つなぎ)をつけないことに決めた。
旅費が少ないのが気になった。
高崎藩邸から旅の前にとどいた10両(160万円)と、土屋組からの旅費の残金などに、[化粧(けわい)読みうり]の板元・〔箱根屋〕の権七(ごしち 45歳)が律儀にとどけてきた板行元の分け前12両(192万円)をたして25両(400万円)にし、紀州・貴志村で両親を介護している里貴(りき 33歳)に、薬代のたしにと飛脚便で送ってしまっていたのである。
【参照】2010年6月19日~[遥かなり、貴志の村] (1) (2) (6) (7)
返信は、深川・黒船橋北詰の〔箱根屋〕気付でいいとも指定した。
(どうせ、添えないなのだから、未練たらしく思われなければいいが。それと、こころの重荷に感じないでほしい。天から降ってきたというような金子なのだ)
海上は2刻半(5時間)たらずであった。
港からさして離れていない、6年前の愛染院脇の旅籠〔矢那屋〕に落ちついた。
番頭も女中たちも、主従の顔をおぼえており、
「お役人さまは、このたびはご一緒ではございませんので---?」
興味津々の目つきであった。
「上総(かずさ)に戸田という村があるかな?」
むだとおもいつつ訊くと、意外な答えが返ってきた。
「ここから内陸へはいった武射郡(むしゃこおり)に戸田村というのがございます」
「わが家の知行地のひとつが、武射郡の寺崎だが--」
【参照】2006年5月21日[家風を受けつぐ]
2007年6月27日[田中城しのぶ草] (9)
2010年4月8日[長野佐左衛門孝祖(たかのり)] (5)
「寺崎から山あいを、小1里(3km)も北へ行ったところでございます」
平蔵は、荒川の戸田の渡しの「戸田」とばかりをおもっていたのである。
(寺崎村の太作(たさく 70歳近い)爺ィやを訪ねたほうがよかったかもな)
(赤○=長谷川家知行地 上=寺崎 下=片貝 緑○=戸田
江戸時代に最も近い明治20年制作 参謀本部)
着津(ちゃくしん)時にあたりをつけておいた呑み屋へ、夕刻はやばやと出向いた。
松造とは、別々の店をえらんだ。
そのほうが、噂がひろいやすいと感じたからである。
2軒目で手ごたえがあった。
「市ヶ谷八幡社の下で茶店k茶汲みおんなが、木更津へ行くのであれば、この店で呑むといいとすすめてくれたのでね」
さっきの店と同じことを切りだしてみた。
「なんという娘(こ)ですか?」
「お信(のぶ)とかいっていたかな」
「信(のぶ)ちんだわ。10年よりもっと前の話ですよ」
50に近いのに厚化粧して髪を黒々と染めた女将が、なつかし顔で話した。
客にきた40男と気があったらしく、辞めていったが、35歳を過ぎても茶汲みをやってるようでは、あの男に捨てられたんだ、とくやしがった。
「捨てられたとはかぎるまい。肌も光沢(つや)つやしていた」
「うちの店を辞めて、幸せでいられるはずはありませんよ」
断言した。
「その男というのは---?」
「なんでも、市原郡(いちはらこおり)のどこやらの出で、信ちんも近くの不入斗(いりやまず)村の生まれだというので、気があったみたいでした---」
「女将さんは、どこの---?」
「生まれですか? 不入斗からちょっと北の戸田村です」
「えっ?」
「そういえば、信ちんを口説いた男の連れだった中年は、〔戸田(とだ)〕の房吉だか房五郎とか呼ばれていましたが、その男の戸田は、あたしとはちがう、武射郡の戸田村といってましたなあ」
「お信さんを攫(さら)っていった男は、神崎村の生まれと称していなかったかな」
「思いだした。あたしの戸田村から2里(8km)ほど山のほうへ入った、神崎村といってました」
(符合している。お信はつくり話はしていない。)
【参照】2010年9月1日~[〔小浪(ひなみ)〕のお信] (1) (2) (3) (4) (5) (7) (8) (9)
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コメント
6年の前の使用人だった信ちんをおもいだす女将もえらいが、田舎の湊町なので、大きな変化がなく、6年前のことは昨日のことのよう覚えているんでしょうね。
それにして千葉出身の盗賊は、どことなくおおらかですね。きびしいのは海岸側の五井の亀吉ぐらいかなあ。
畜生ばたらきをするのは、〔伏屋}の紋蔵でしたか?
投稿: 左衛門佐 | 2010.09.06 19:35
>左衛門佐 さん
そういう観点からすると、出生地で本格派の盗賊を分類すると、長野県が一番かなあ。
〔蓑火〕の喜之助、〔帯川〕の源助、〔船影〕の忠兵衛、〔明神〕の次郎吉、〔諏訪〕の文蔵、〔須坂〕の文蔵など。
次が静岡県かなあ。〔伊砂〕の善八、〔馬伏〕の茂兵衛、〔瀬戸川〕の源七、〔牛尾〕の太平など。
千葉県は、これに次ぐかも。
こういうふうに分類したことはないけど。
投稿: ちゅうすけ | 2010.09.07 13:26