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2010.06.20

遥かなり、貴志の村(2)

松造(まつぞう)。先に帰っておれ」
茶店の隅の席から心配そうに平蔵(へいぞう 31歳)を瞶(みつめ)ていた松造(25歳)に気づいた。

「手前にできることがございましたら、お申しつけくださいませ」
おずおずと逆らった。

「いや。これは、おれがことよ。酒でも飲んでから帰館する」
「お供いたします」
「ひとりで考えたいのだ」
「では、なるたけ、お早くお戻りくださいますよう---」

松造には、記憶があった。
京都で、貞妙尼(じょうみょうに 26歳)が殺されたときの、平蔵の面持ちに似ている。
しかし、今夕、殺されたかもしれないらしい女性(にょしょう)のこころあたりはなかった。

参照】2009年10月19日 [貞妙尼(じょうみょうに)の還俗(げんぞく)] (

平蔵の哀しみの深さは、貞妙尼(じょうみょうに)を失ったときよりも、琵琶湖で水死した〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)の報らせを聞いたときに似ていた。

男とおんなという生臭いあいだがらではなく、手の中の珠(たま)というか、貴重なものがなんの前触れもなく、突如、消えてしまったような喪失感であった。

は知恵の珠、里貴(りき 32歳)は事状通ともいえた。
消えてしまってから、どれほど頼りにしていたかをおもい知った。

とりわけ里貴は、透明ともいえる白い肌が情事のときに桜色に上気してくるのを愉しんでもいただけに、事状読みの才を、ともすると忘れがちであった。

参照】2010年1月18日~[三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇] () (
2010年1月18日~[貴志氏] () (

余人をもって換えがたい---という形容は、平蔵にとっては、お里貴のためにあった。

六間堀ぞいの道を竪川(たてかわ)の方へ歩きながら、鷹のように翼があれば、紀州へ東海道を急いでいる里貴を空からさらって連れ戻したいと考えているおのれを自嘲したり、躰になじみきった1年半のあれこれに未練をおぼえている自分を叱ったり---。

気がつくと二ノ橋東詰のしゃも鍋〔五鉄〕の前にい、季節がら、障子戸の向こう側は賑わっている気配が察せられた。

板場から三次郎(さんじろう 27歳)が飛び出してき、すぐに、熱燗をいいつけた。

参照】2006年7月16日[ 〔五鉄〕の位置

_360_2
(〔五鉄〕店内のパース 建築設計家・知久秀章さん)

入れ込みの奥の席をととのえ、
「寒風の中、どうなされました?」
「思いもかけぬ仕儀が出来(しゅったい)してな」
「お役目の上のことでございますか?」
三次郎が心配顔になった。

「いや」
「お金のことですか?」
「そうではない。そっちは足りておる」
「奥方さまと--?」
「産み月で、実家へ帰っておる」

躰を合わせあったおんなのことを、他人に話す趣味は持ちあわせていなかった。
おんなの体面もある。

「宝物が消えたのだが、探す手立てはない。諦めがたいが諦めるほかない」
「酒でも召し上がって、お忘れください」
「しゃも鍋をつつく気分ではないから、ちょっとした肴でいい」
そう言ってから、どうして〔五鉄〕に入ってしまったのか、奇妙におもえた。

独り酒なら、そのあたりの飲み屋でも間に合った。
やはり、勤め着のままでののれん酒は不審がられると、無意識に避けたのであろう。
こういう時、四ッ目にあった〔たずがね)}の忠助(ちゅうすけ 享年=53歳)の〔盗人酒屋〕だったら気が休まったであろうが---。
〔盗人酒屋〕は、3年前に店を閉じていた。

参照】2010年6月19日~[遥かなり、貴志の村] () () () () () (

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