遥かなり、貴志の村(7)
田沼老中(主殿頭意次 おきつぐ 58歳 相良藩主 3万石)から下賜された金包みは25両(400万円)であった。
平蔵(へいぞう 31歳)は、その足で大手濠の北端の三番原角へむかった。
茶寮〔貴志〕は店じまいする直前であった。
帰り支度をしていた女中頭・お粂(くめ 35歳)に、寸刻つきあってくれないかと誘った。
連れだち、鎌倉河岸の店の前に空き樽をつみあげてにぎわっている酒屋〔豊島屋〕へ入ろうとしたら、お粂がひるみ、
「長谷川さま。いくらそうであっても、ちょっと---」
〔豊島屋〕を〔年増屋〕と見たのである。
「うん? あっ、そうか。悪かった」
(鎌倉河岸豊島屋酒店 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
お粂の住いは柳原岩井町裏の惣介長屋といった。
筋違(すじかい)橋のたもとの屋台が、まだやっていた。
燗酒と湯豆腐をとり、
「〔貴志〕は店をしめるんだってな?」
「女将さんが紀州へ帰ってしまわれたので、やっていけないのです」
「お粂どのが女将に昇格ってのもありえる」
「とんでもありません。お客さまが承知なさいませんよ」
「それで、店がなくなったら、どうするつりだ?」
「田沼さまが新しい働き口を---」
「それならいいが---」
「まだ、小さい子どもが2人、おりますので---」
「いくつと、いくつかな」
「上の女の子が9歳、下が7歳---」
「気にかけておこう」
「お願いできるのですか?」
「なんとかなるとおもう」
安心したように、お粂は盃をあけた。
注いでやると、2つ3つ、つづけ、
「こんなにおいしく呑めたことは、このところありませんでした」
平蔵は、こういう時にこそ、両国広小路一帯をシマにしている元締・〔薬研堀(やげんぼり)〕の為右衛門(ためえもん 53歳)と小頭・〔於玉ヶ池(おたまがいけ)〕の伝六(でんろく 35歳)の顔を頼むべきだとおもった。
「むさくるしいところですが、すぐ、そこなんです。お立ち寄りくださいいませんか?」
「では、表戸のところまで、用心棒代わりに---」
歩きながら、紀伊国那賀郡(なかこおり)貴志村のさき、里貴が帰っていった字(あざ)名と里貴の本名を知らないか? 訊いてみた。
今夜の出会いの目的がそれだとわかると、お粂は冷えた。
長屋の木戸口で、平蔵が、次の仕事口を頼むのは、〔薬研堀〕の為右衛門という香具師(やし)の元締である。
お前を粗末にしないように、おれの若気のいたりから、子を2人も産ませたが、家が厳しくて入れられない。一生面倒をみなければならないのだ---とふれこんでおくから、そのつもりで、というと、きゅうに解けて、
「長谷川さまのお子たちに、会ってやってくださいませ」
平蔵の手をとって案内した。
怪訝な顔つきの子どもたちに、
「これからは、おれが父(てて)ごだ。銕(てつ)お父(と)っつぁんと呼べ」
いいきかせ、あとは母ごから話してもらえというと、お粂が袖を引き、寄り添い、
「女将さんの村は、東貴志村ときいたことがあります」
そのあて先に、飛脚便に看護見舞いとして25両を托し、おもいきって返書は無用と認(したた)めた。
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コメント
おや、里貴さんがいなくなったら、平蔵さま、さっそくにお粂さん? って誤解してしまいました。
そうではなく、父親のいない2人の子に、父代わりをつとめてやるようなのですが、それだけですむといいのですが。
ヒヤヒヤ、キョロキョロ。
投稿: tsuko | 2010.06.25 05:01
>tsuko さん
いつもコメント、ありがとうございます。
>おや、里貴さんがいなくなったら、平蔵さま、さっそくにお粂さん? って誤解してしまいました。
そう、ちょっと、誤解をされやすい文になっていたかも知れません。
誤解したのは、むしろ、お粂のほうだったのかもしれません。
あと、数日、お待ちになってください。お粂にはいい仕事場と、いいお相手が出来るはずです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.06.25 07:19
田沼意次侯からの報奨金は25両(400万円)だったのですか。
切り詰められる警備費用を考えると。25両では少ない感じ。
役所というところは、予算を切り詰めて浮いた分をほかのどうでもいいことに使いがちなことを、老練な田沼侯は知っていたから、自前をきったのでしょうね。
その 25両を、ぽんと里貴の見舞金に送ってやる平蔵の心意気がすばらしい。
投稿: 文くばりの丈太 | 2010.06.26 05:15
将軍・家治の日光参詣の費用は、松浦静山『甲子夜話』によると24万両超だったようです。その警備費用と見栄のためにに使われた費用はそうとうのものでしょう。
その警備費用の節約分、老中たちは念頭になかったでしょうね。
でも、田沼侯なら心くぱりできたと考えてみたら、私財25両となりました。
投稿: ちゅうすけ | 2010.06.26 16:52