奈々という乙女(7)
「2階の人の考えが、私にはどうも理解がおよびません」
指先で上をさした里貴(りき 39歳)が、声と眉をひそめて訴えた。
「奈々(なな 16歳)が、また、なにかやったのか?」
腰丈の寝衣に着替え、右ひざを立てている里貴に、酌をしてやりながら平蔵(へいぞう 38)が質(ただ)した。
今月の森田座がよさそうだといった女客に同伴をねだったのだという。
その女客は、土地(ところ)の海辺大工町高橋(たかばし)ぎわの老舗の薬種(くすりだね)問屋〔久保田屋〕の女将・お筆(ふで 42歳)で、血の道の妙薬〔回生散〕を〔:化粧(けわい)読みうり〕のお披露目枠に載せて大当たりをとっていた。
お披露目枠をすすめたのも〔季四〕につないだのも、もちろん〔丸太橋(まるたばし)〕の元締代の雄太(ゆうた 49歳)であった。
お筆は芝居好きというより、役者買いのうわさがあった。
里貴のことばを借りると、いまの奈々ときたら、
「怖いものしらずの小雀みたいに、なんでもしりたがるのですから---」
こぼして、
「紀州の貴志村とちがい、江戸には悪者も少なくないってことを、銕(てつ)さまからいって聞かせてくださいませ」
「里貴を心配させることで、いるってことを示しているのかもしれないぞ」
「ねんねではあるまいし、冗談ではありません」
「貴志村では、どういう暮らしぶりであったのだ?」
「丹生(にう)のご隠居さまの小間使いにあがっていたとか---」
「なんだい、その、丹生のご隠居というのは---?」
丹生明神は、女人禁制」の高野山で、唯一、山の女神として祀られていた。
[丹生さま]と呼ばれた現世の女性(にょしょう)が、山中の霊場ではなく、貴志村の近くに侘びずまいし、代々、独り身をまもっていた。
だから、子はない。
どこからか幼女がもらわれてきては身分を継いでいた。
「それなら、庭訓(ていきん しつけ)もこころえておろうに---」
「それが、気ままなだけの老婆であったと聞いています」
「行儀作法ができていないでは、茶寮[季四〕の若女将はつとまらないな」
平蔵が提案した。
ニッ目ノ橋南の弥勒寺の裏手、辰蔵(たつぞう 14歳)がこのあいだまで礼法を教わっていた、勘定見習・山田銀四郎善行(よしゆき 41歳 150俵)の実母のところへ通わせてみたらたらどうかと。
【参照】20101031~[勘定見習・山田銀四郎善行] (1) (2) (3) (4)
話がまとまったところへ、奈々が戻ってきた。
「遅そなったけど、お芝居のことで、長谷川のおっちゃ---おじさまに訊きたいことがでたん。着替えてから来ます」
裏庭側の階段を音をたててあがっていった。
これですから---と訴える目で頭をふりふり里貴が、
「一日も早く、そのしつけのおっ師匠さんのお世話に---」
降りてきた奈々は、腰丈の寝衣でなく、ふつうの部屋着であった。
「夕餉(ゆうげ)は?」
「〔久保田屋〕はんのご寮(りょ)はんの用事すむのを待っとるあいだに、お伴の女中はんといっしょに食べまました」
「それでは、寝酒か---?」
平蔵が大徳利から注ぎたした片口をむけると、すばやく食器棚から自分の飯椀をおろし、
「おっち---おじさま。寺子屋いうお芝居、しってる?」
「菅原伝授手習鑑(すがはら でんじゅ てならいかがみ)か?」
【参照】2011年7月9日~[奈々という乙女] (1)(2) (3) (4) (5) (6) (8)
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