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2011.07.09

奈々という乙女

「やっと、片づきました。これで、奈々(なな 16歳)がいつ着いても大丈夫です」

奈々は、いまごろ、大井川の川止めにあっていなければ嶋田宿か藤沢宿であろう。

紀州・貴志村の村長(むらおさ)のところの下僕の吾平(ごへえ 52歳)が従っているが、平蔵(へいぞう 38歳)も、嶋田からこっちは箱根の荷運び雲助の顔役であった権七(ごんしち 51歳)の線と、小田原の〔宮前(みやまえ)〕の徳右衛門(とくえもん 60歳)貸元のつながりで、道中の安全はひそかに手くばりされていた。

里貴(りき 39歳)もそちらは平蔵に頼りきり、自分は茶寮〔季四〕の女将としての務めのほかは、奈々との新しい住いのととのえにかかりきってい、引越しの最後の荷が、天明3年(1783)3月5日(旧暦)に移された。

これまでの住まいの藤ノ棚から亀久町の南端の新居までは、仙台堀に架かっている亀久橋をわたって1丁(100m強)あるかどうかなのに10日ばかりもかかってしまったのは、この年は春さきから雨つづきで、やみまをぬっての運びになったからであった。

もっとも、里貴がため息まじりにこぼしたように、
「増やすまい、ふやすまいとこころがけていても、おんなが独りで5年も暮らしていると、自然と、しがらみが増えてしまうものなんですねえ」

「しがらみとは、よくもいったものよ。われとの仲も、しがらみのように10年近くになる--」
平蔵が冷やかすと、
(てつ)さまとのこのことは、きのう出来あったばかりのおんなと男のように新味に満ちております」

荷がそれぞれしかるべき位置へおさまった夜、寝衣で冷酒を酌みかわしていた。

「階段を裏庭側に付けかえたのは、妙案であったな」
「せっかく、玄関から裏庭まで通じた三和土(たたき)の通路があるんですもの、2階への出入りは下の居間を通らないで裏から上がってもらうようにしなければ---」

三和土の通路は、近在の砂村の農家が下(しも)のものを汲みとりにきたときに使うための通路でもあった。

裏庭にはきちんと塀をめぐらせたが、裏庭からは出入できない。
というのは、旗本・水野万之助忠候(ただもり 30歳 2800石)の下屋敷で、守り番の老夫婦が母屋に住んでいるだけで、物音ひとつ聞こえてこなかった。

「16歳の奈々に、われらの関係(あいだがら)を、どう、話すつもりかな?」
「話すまでもありません。16歳なのだから、見ていれば、わかります」
「そういうものかな---」
「おんなと男のあいだのことは、あるようにしかあれないことくらい、分別がつく齢ごろです。、なにごとも語りあえる男友だち、支えの人として、さまは私になくてはならない人なのです」

「ただ、裸で抱きあっているところは見せたくはない---」
「いっしょに行水するところは見せたっていいでしょう。村では、夫婦(めおと)がいっしょに浴(つ)かっていますもの」
「それが、元の国でのしきたりでもあるのか?」
「村では、そうでした」

貴志村は、はるかむかしに半島から渡来した人たちが、故郷での暮らしぶりをかたくなに守り伝えていた。

「睦みごとのときにあげる声は---?」
「母親のそれを耳にしても、聞かなかった顔をしているのが、村のしきたりです」
「われらは夫婦ではないが---」
「夫婦を超えている2人です」
「ふむ。奈々がそこまで得心してくれるといいが---」
さまに接すれば、ちゃんとしたおんなの子なら、得心しますとも」


参照】2011年7月9日~[奈々という乙女] () () () () () () () 

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