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2007.10.24

田中城しのぶ草(22)

「いや、お招きいただくのであれば、よろこんで参上いたします」
酒井宇右衛門正稙(まさたね 38歳 大番 廩米250俵)は、答えた。
あまりに、いさぎよい返答に、主旨を伝えた長谷川平蔵宣雄(のぶお 41歳 小十人頭 400石)のほうが意外に思ったが、顔にはださない。

場所は、四谷裏大番町の組屋敷---いまの新宿区内藤町。切絵図を間違いなく読みとっていれば、多摩のほうへ引っ越される以前の、故・斉藤茂太さんの病院があったあたりである(もっとも、そこに酒井又三郎という仁の家があったからで、250俵だと、大番組の縄手---組屋敷住まいだったのかもしれない)。
Photo
(四谷大番町組屋敷と酒井家=赤○)

「それで、お集まりの方々は---?」
「お誘いいたしたお一方は、 こちらのご先祖である茂兵衛正次(まさつぐ)さまとごいっしょに駿河勤番をなさっていた大久保甚左衛門忠直(ただなお)さまの---」
「わが祖の正次の先任ご城代であった---」
「さようです。そのご当代・荒之助忠与(ただとも 48歳 目付 1200石)さま---」
「なんと返事を---」
「公務多端につきと---」
「ご出世なさる仁は、心得てござる」
「------」
「長谷川どの。そちらは、今川の出でありましたな」
「はい。祖は、今川では、義元(よしもと)公亡きあと、田中城をお預かりしておりました」
「ああ、そのご縁で、伯耆守正珍(まちよし)侯のお手伝いをされておられますのか」
「それもありますが、侯がご老中のときに、お引き立てをいただきましたゆえ」
「おもしろいお方じゃ。年少のこちらが申してはなんですが、ご気概、感服いたしました」

宇右衛門正稙がいいたかったことは、宣雄にはよくわかっている。
わざわざ今川の名をだしたのは、自分のところの酒井は、徳川の大身の酒井家とは無縁で、上総国の里見家の重臣で、鴻の台(千葉県)の北条家との合戦に参加し、かえって敵方の北条氏康にその武勇を認められて引きぬかれた家柄なのに、たかが大番の番士で廩米250俵と自嘲したかったのであろう。

その愚痴がでる前に、宣雄は辞去した。

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【参照】2007年6月19日~[田中城しのぶ草] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (23) (24) (25)

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