初お目見が済んで(1a)
明和5年(1768)12月5日、江戸城・山吹の間の椽頬(えんがわ)での、将軍家治による初見(しょけん)が無事をおえた銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、願い人の父・平蔵宣雄(のぶお 50歳 先手・弓の8番手組頭)、供侍・桑島友之助(とものすけ 35歳)などの供ぞろえたちと屋敷へ帰ってきて、驚いた。
宣雄が手配した奉札(ほうさつ 公儀からの吉事の召し状---銕三郎の初お目見---を知らせる廻状)を配られた親戚の当主たちが、麻裃姿でずらりと式台に並んで迎えてくれていた。
宣雄たちがあがると、口々に、
「ご祝着(しゅうちゃく)、ご祝着---」
と称えてくれたのはいいが、いちばん奥にひかえていた﨟(ろう)たけた女官ふうの2人が、
「ご祝儀にございます」
と、顔をあげた。
なんと、女官と侍女に化けていたのは、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)とお勝(かつ 27歳)ではないか。
【参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年11月1日~[甲陽軍鑑] (1) (2) (3)
2008年11月16日~[宣雄の同僚・先手組頭] (7) (8) (9)
2008年11月23日[〔五鉄〕のしゃもの肝の甘醤油煮]
2008年11月24日[〔蓑火(みのひ)〕一味の分け前]
2008年11月25日[屋根船]
2008年11月27日[諏訪左源太頼珍(よりよし) (3)
用人・松浦与助(よすけ 52歳 先代)が、気もそぞろに、
「なんですか、中納言・綾小路(あやのこうじ)静麻呂(しずまろ)卿が、わざわざ、都(みやこ)からご祝儀のご使者をおつかわしくださいまして---」
会食の膳がしつらえてある客間へ一同を案内してから、宣雄が銕三郎を廊下の隅へ引きよせ、
「どういうことだ?」
「先年、箱根宿の本陣〔川田〕角左衛門方へ宿泊したとき、たまたま、綾小路卿と同宿になりまして---」
「それだけのご縁で、わざわざ、お祝いの女官をお寄こしくだされたのか。恐れおおい---」
銕三郎には、綾小路は、すなわち、〔狐火(きつねび)〕の狐の化けぶりを、お竜が演じているとわかってはいたが、まさか、両人の正体をあかすわけにはいかない。
【ちゅうすけ注】このときから4年後に、宣雄が京都西町奉行として赴任、綾小路という公家には静麻呂などという仁は存在していないことが発覚(ばれ)るとは、銕三郎もお竜も予想もしていなかった。
宴会の席へ入ると、お竜とお勝は、主座・本家の長谷川太郎兵衛正直(まさなお 59歳 1450石 先手・弓の7番手組頭)の左隣に座らされて話しこんでいて、銕三郎は脇の下に冷や汗をにじませた。
太郎兵衛の右隣は、銕三郎のいう納戸町の大叔母・於紀乃(きの 69歳)の養子で、分家でもっとも家禄が高い久三郎正脩(まさひろ 58歳 4070石持筒頭)で、お竜たちをしきりに気にしている。
宣雄が、初見がとどこおりなくすんだこと、内祝いにお運びいただいたことの礼をのべ、酌をしてまわると、それぞれが綾小路卿とのつながりを聞きたがった。
宣雄にうながされた銕三郎が、お竜のほうを見ないようにしながら、箱根宿での邂逅のことを説明しおえると、お竜が居ずまいを正し、鈴がころがるような声で、
「わらわは、竜子局(りゅうしのつぼね)と申しまする。いま、銕三郎公子(きんだち)がのたもうた静麻呂卿との箱根のこと、卿は、銕三郎公子のご器量にいたく御感(ぎょかん)をおほしめし、公子がご当家のご継嗣(けいし)であらねば、照姫(てるひめ)の婿どのにともお考えにもなられたと洩れうけたまわっておじゃりまする。おめでたいお席に、いたらぬことをお告げいたしたこと、ひとえに、お許したも、銕三郎公子」
もう、やんやの拍手であったが、銕三郎は、脇の下はおろか、躰中に冷や汗を感じいた。
そのさまを、お竜がにんまりと眺めている。
さすがに宣雄は、
(おかしい)
と悟ったようだが、内祝いの席でもあるから、お竜に最後まで芝居をさせておく気になっていた。
(銕め。どこまで、おんな運をひろっているのか)
それぞれがお竜に酌をしようとたちかけたとき、用人・松浦が、
「お局さま。お迎えのお駕籠がまいっております」
お竜とお勝は、あくまでもしとやかに、しずしずと去っていった。
本家の太郎兵衛正直が、感に耐えたような口ぶりで、
「銕三郎。この齢になって、初めてお公卿(くぎょう)に働く女官と言葉を交わしたが、なんともいえぬ気品よのう」
久三郎も齢甲斐もなく頬をそめ、
「それにしても匂いたつような美形だったな。いや、けっこうな眼福であった。銕三郎、礼を言うぞ」
(これで、親類中から嫉妬される)
銕三郎は、ますます、ちぢみあがっていた。
(それにしても、お竜め、大胆不敵! なにが綾小路だ。竜子局と申しまするだ。静麻呂とは聞いてあきれたわ)
| 固定リンク
「079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事
- 与詩(よし)を迎えに(39)(2008.02.02)
- 本陣・〔中尾〕の若女将お三津(3)(2011.05.08)
- 日信尼の煩悩(2011.01.21)
- 貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(8)(2009.10.26)
- 蓮華院の月輪尼(がちりんに)(6)(2011.08.15)
コメント
所見が無事終わって内祝いを盛大に催されたのは納得いくのですが、まさかこんな「ご祝儀」が叶うなんて私も冷や汗を流しながら読みました!
投稿: みやこのお豊 | 2008.12.11 18:00