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2011.08.11

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(2)

半月が青く輝いたその夜---。

大塚の筑波山護持院の本堂の前、人びとが「カニの池」と呼んでいる小さな泉に月が映っている刻限に、月輪尼(がちりんに 23歳)が佇み、池の月に向かって口の中でぶつぶつと懺悔(ざんげ)していることを平蔵(へいぞう 38歳)はしらなかった。

観世音菩薩さま。うちは、ひとりの父ごを欺きました。

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(比丘尼が受戒した和州・長谷寺の本尊・十一面観世音菩薩)


その父ごの祖先は、比丘尼が受戒(じゅかい)させていだいた総本山・長谷寺の村で、家名を長谷川と名乗った武家でありました。

父ごの嫡男が施療を求めてまいりましたとき、その深い縁(えにし)の若者に、うちの下腹が燃えたのでした。

観世音菩薩さまもお見通しのとおり、うちは、公卿の家の媛(ひめ)として育ち、14歳の春にある男に無理やり乙女の徴しを奪われました。

それからは世をうとい、男をうらみ、わが身を呪っていましたが、神泉苑の老師に、おんなは男によって人をつくり、男はおんなによって人となると教えられ、長谷寺を指されました。

参照】2009年11月18日[三歩、退(ひ)け、一歩出よ。] (

その若者は、性への執着がひとかたなぬおんなによって修羅道に落ちかけておりました。
えにしの子を救ってやるのは、うちしかないと思いました。

うちも、男の性への妄執(もうしつ)のいきにえになったものです。
これを救いみちびいてやらねば、とおもいたったときには、裸になって抱いておりました。

うちは、その若者によって、思い出をよみがえらせたかったのかもしれません。

_140幸い、若者を縛っていたおんなの妄念は消えましたが、こんどはうちの躰が妄執の池に漬かりそうです。

若者の父ごには、若者を抱いたことは告げておりませぬ。
だぶん、父ごは推察しているとおもいますが、早くあきらめさせてやってくれと願っているように見えました。

あきらめるのは若者ではなく、うち、です。
あの若者の、育ちざかりのの獣のような匂いをかぐと、せつのうて、いとしゅうて、芯がもえ、下腹が熱くなってしまいます。

真言密教道には、おんなの昂まりを鎮める秘法はないのでございましょうか。

どうすれば、あきられめられましょうや?
お教えください。

月輪尼は、眉根をよせて観世音菩薩にすがっていた。
しかし、煩悩の道は、長谷寺の登廊のように長かろう。

_360_2
(和州・長谷寺登廊下)


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079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事

コメント

長谷寺の登廊って美しい。日本的美の一つでしょう。訪れて、確かめてみたい。
それにしてもちゅうすけさん、いろんなところを案内してくださり、ありがとう。

投稿: 文くばりの丈太 | 2011.08.12 05:43

>文くばりの丈太 さん
桜井市の長谷寺の登廊は、和建築的にも見ごたえがあるものとされています。
長谷寺もですが、初瀬は、長谷川家のルーツといわれていますが、地元はいま一つ、観光のポイントとしていません。
いつか有志で訪問してみませんか?

投稿: ちゅうすけ | 2011.08.12 06:35

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