蓮華院の月輪尼(がちりんに)
「お見舞いが遅くなりました」
〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 57歳)とお多美(たみ 42歳)夫婦が里貴(りき 39歳)を見舞ったのは11月の初旬で、倒れてから3ヶ月も経っていた。
もちろん、それまで、病人の口にあいそうな月々の水菓子(くだもの)はとどけてきてはいた。
顔を見せるのをひかえていたのは、里貴がやつれた姿を見られるのは嫌がるであろうと、お多美が気をきかせていたからであった。
しかし、会う相手は里貴ではなく長谷川さまだと、こんどだけは重右衛門がきかなかった。
それほど平蔵(へいぞう 38歳)は、暇さえあれば里貴の枕元につめていた。
重右衛門が口をききかけると、目顔で別室を指した。
「じつは、辰蔵(たつぞう 14歳)さまのことでございやす」
「あれの辻番所巡りでは、元締衆に厄介をかけていたようで、まことに相済まないとおもっておる」
「とんでもございやせん。そのことでは、みなみなの衆が、すすんでお手伝いをいたしました。じつは---」
辰蔵の気ふさぎによかれと、蓮華院の庵主(あんじゅ)・月輪尼(がちりんに 23歳)を引きあせて施療をうけさせたところ、真言密教の秘法に縛られたようで、慙愧(ざんき)のきわみと恥いっていると告白した。
「真言密教の秘法---?」
〔夢ごこちの中で女躰(にょたい)と交接し、精を放ちつくすのだそうでやす」
゛は、ははは。夢精だな」
「殿さま。笑いごとではすみません。辰蔵さまはお変わりありやせんか?」
「明るさが戻ったと、室は喜んでおったが---」
(辰(たつ)の新しいいおなごがよりに選って比丘尼---? ありえないことではない。げんにわれが27歳のときにいとも簡単に貞妙尼(じみように)と睦んでしまったではないか)
【参照】2009年10月14日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)] (3)
「殿さまも、百もご承知のことと存じやすが、男とおんなが世間の垣根を越えるのは、理屈なんかではありやせん。性の慾は簡単に燃えあがりよるです」
「で、その比丘尼どのは、いずこの---?」
〔音羽}の元締のすすめで訪れたというと、月輪尼はあどけなく微笑み、
「辰(たっ)はんの父ごはんでおすか? お顔がよう似てはる---」
「辰蔵の悩みごとを解いていただいたようで、お礼に参じました」
「すっかり、癒(い)えたわけやおへん。あと、もうちょびっと施療うけさせてあげておくれやすか」
「ところで、比丘尼どのは真言密教の修験を、いづこでお積みになりましたか?」
「和州・長谷寺で---」
「ほう---」
笑みをかえした月輪尼が、
「親ごはんも悩みがおありと、お顔にだしてはりますが、施療をお望みで---?」
「お差支えなければ---」
つづきの間へみちびかれ、羽織袴はもとより、帯も解いて寝るようにいわれ、そうした。
襖が閉められ、香木が焚かれ、比丘尼の鈴をころがすような読経が始められた。
[自在菩薩------
舎利子(しゃりし)。色不異空(しきふいくう)。 空不異色。
色即是空(しきそくぜくう)。空即是色。
------------
舎利子。是諸法空相(ぜしょほうくうそう)。不生不滅(ふしょうふめつ)。
不垢不浄(ふくふじょう)。不増不減(ふぞうふげん)。
------------]
「そなたは幾歳のときに女躰(にょたい)を識(し)ったか---?」
「14歳です」
「相手の女性(にょうしょう)は幾歳であったか---?」
「25歳と聞きした」
「どのようにして知りあったか---?」
「女性の父ごに引きあわされました」
「人の妻であったのか---?」
「さにあらず。夫を逝かせたばかりでした」
「そなたは、その女性のことを、いまでもおもいだすことがあるか---?」
「いい初体験をさせてもらったと、感謝しております」
「双方、幸せな体験であったのだな---?」
「あのようなこと、辰蔵にもとのぞんでおりました」
「よい父ごよ」
「そうでありたいと願っております」
「辰(たっ)はん、そなたのおもいどおりにはいかなかった---」
「はい」
「人の世とは、そういうもの」
「あいわかりましてございます」
「いま、そなたが内室のほかに睦んでいる女性(にょうしょう)は---?」
「やはり、夫を逝かせたおなごです」
「では、そなたは功徳をほどこしていることになるな---?」
「功徳---?」
「さよう。おんなは男なしでは生きられない」
「そうかも---」
「睦んできている女性は、病んで、そなたに助けを求めてもだえておるな---?」
「もだえて---?」
「そなたには、その女性の夜叉の形相が見えないようじゃな----?」
「見えませぬ」
「行って、添うてやるがよい」
「しかと---」
[----------
菩提薩婆訶(ぼだいそわか)。般若心経(はんにゃしんきょう)]
庭側の襖がひらかれ、光が部屋へ満ちた。
平蔵は額の汗を懐紙でぬぐい、いつのまに移ったのか庭側へ端然と坐し、微笑んでいる月輪尼へ頭をさげた。
比丘尼の脊には後光がさしているようであった。
「辰蔵をよろしょゅうにお導きくだされ」
護持院の楼門をで、音羽通りを重右衛門の家へ足をはこんだ平蔵が、元締にいいきった。
「辰蔵の施療は、比丘尼どのにまかせておけばよい。抱きあったとおもっているのは辰蔵だけよ」
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コメント
辰蔵には「父母恩重経」、父親・平蔵には「般若経」と、月輪尼さんも、心憎いばかりのばかりの配慮ですね。真言密教もやるもんですな。
投稿: 左衛門佐 | 2011.08.10 09:19
辰蔵さんが受けたような療法、受けてみたいです。ただし、療法士は男の比丘で、健康保険がきいて、秘密がまもられること。
投稿: mine | 2011.08.10 09:31
色っぽい施療ですね。チョッとうらやましい気もします。
投稿: numapy | 2011.08.10 14:23
>左右衛門佐 さん
仏教は、救いの宗教ですから、当然、心のやまいの救いも施療のうちでしょう。空海がもたらした真言密教がそうかどうかはしりませんが。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.10 16:34
>mine さん
宗教法人は無税ですから、治療費もそれなりに安くしないとそれこそバチがあたります。健保がきくかどうかはともかく。(笑)
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.10 16:37
>numapy さん
日蓮宗をじっと観察していると実に性的なんですよ。寒行のドンツクドンツクの手持ちタイコのリズムも女性には性的に快い刺激でしょうね。ご詠歌も放心させるようなメロディ? キリストの十字架像だって裸に近い。血も流れているし、あれは、性的に刺激しますよ。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.10 16:50