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2008.04.11

妙の見た阿記

阿記(あき)さまは、銕三郎(てつさぶろう)などより、よほど、大人です」
箱根から帰ってきた(たえ 40歳)が、ことあるごとに、そういってはばからないのに、銕三郎(20歳 のちの鬼平)は閉口した。

阿記(23歳)は、箱根・芦ノ湯村の湯治宿〔めうが屋次右衛門のむすめである。
嫁入り前は〔芦ノ湯小町〕とはやされていたが、18歳のむすめざかりの時、親類の実力者・茗荷屋畑右衛門夫妻の口ききで、平塚の太物舗〔越中屋〕幸兵衛(こうべえ 22歳=結婚時)に嫁いだが、姑とのおりあいが悪く、夫は姑の言いなりで、しかも嫁(か)して3年子ができなかったので、縁切りのつもりで里帰りの途中、銕三郎(18歳=当時)と出会い、実家の離れでしぜんに躰をあわせた。

参照】2008年1月1日~[与詩を迎えに]  (12) (13) (14) (15)

鎌倉の尼寺・東慶寺に駆けこみ、み仏のお情けで嫁家との縁が切れるのを待っているうちに、女児を産んだ。銕三郎の子である。

参照】2008年2月1日[与詩を迎えに] (38)
2008年3月20日[於嘉根(おかね)という名の女の子] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)

銕三郎は、箱根からの旅籠賃を、阿記さまに払わせなかったそうですね」
「そのう、まあ、分けるもの水くさいとおもいましたので---」
「藤沢宿から江ノ島、鎌倉は、阿記さまの都合で遠まわりしていただいたのだから、せめて、この分だけでもと、2年間包んでおいて、時がくれば---と、お待ちになっていたのです。さすがに商家育ちのお人、お金のけじめをきちんおつけになる」
「はあ---?」
「人と人が付きあっていくおり、金銭はきちんとしないと、長つづきしません。私は、農家といっても山持ちの家育ちですが、山の木は、育つのに何十年もかかります。気が遠くなるほどの長い目でやらないないと、やっていけません。人との付きあいも2代、3代と長くつづく場合のことを考えて仕切ります」
「------}
「お武家は、金銭のことは避けておくほうが潔いと考えていらっしゃいます。そのくせ、役についた時のご挨拶のご招待のお料理がどうとか、お土産の菓子舗の格がどうとか---金銭というものへの考え方が、どこか平衡を欠いておられます」
「------」
「そなたのお父上は、私の父のところに滞在なされて、新田開墾にもお立会いになり、山の植林も体験なさって、諸掛かり費用と実り成果ということをたえず勘案なさっておられました。ふつうのお侍のようではありませんでした。これは、損得勘定に似ていますが、まったく違ったこころ根です。私は、そなたのお父上のそういうお考え方を、尊敬申しあげてきました」
「------」
阿記さまにも、そなたのお父上と同じような考えのところがありました。お金のことを考えることを避けてとおらないし、お金を汚いものともおもわない---お父上が阿記どのにお会いなると、一と目でお気に入りになるとおもいます」
「さようですか」

「でも、阿記さまは、於嘉根を独りで育てるとお決めになっております。ほんとうに、こころ根のすわった、しっかりしたお人です」
「母上もお気に入ってくださいましたか」
「話そうとしているのは、そういうことではありませぬ。銕三郎は、将軍家へのお目見(みえ)がすむと、嫁迎えが待っております。その時、妻となるお人に、於嘉根のことを打ち明け、のちのちまで、長谷川家で面倒を見ることの許しを得ておかねばなりませぬ」
「はい」
「覚悟はできておりますね?」
「はい」
阿記さまを、2度とお抱きしないという決心も---?」
「しかし、母上。阿記どのから抱いてほしいと望まれたら?」
「馬鹿をお言いでないッ!」


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