妙の見た阿記(その2)
「母上。明日、左馬(さまのすけ 20歳)が、印旛沼の蓮根(れんこん)持参で、食事にまいります。馳走してやってください」
「銕三郎(てつさぶろう)は、都合が悪いことは、すぐに、そうやってごまかします」
妙(たえ 40歳)は、いつものことと、あきらめたように苦笑した。
笑うと、目じりの皺(しわ)が深まり、目立つ。
(母上も、お齢をおとりになったのに、こんどの箱根行きでは、ご苦労をかけてしまった)
妙にしてみれば、気苦労どころか、初孫・於嘉根(かね 2歳)を抱いたり、阿記(あき 23歳)という一生の話相手ができたりで、若やいだ気分でいることを、銕三郎は見ぬけない。
「岸井さまのご実家は、臼井で積荷船問屋も兼ねていらっしゃるのでしたね?」
「そのように聞いております」
「それゆえ、郷士のご身分なのに、商人のようにお気がまわるのです。ところの採れものの蓮根を江戸へ届けておけば、左馬さまが世話になっている家々へ配ることができると」
「言ってやりました。道場隣の、ふさどのの桜屋敷へも、蓮根を届けておくようにと」
「阿記さまが、早く江戸へお住みになれば、蓮根を煮た時などには、持っていってあげられるのに。於嘉根は、もう、歯がはえてきているから、柔らかく煮れば、あの子も食べられる」
「抱いてやりたいな」
「なりませぬ。嫁にきてくださるお人のお許しがなければ、近寄ってはなりませぬ」
「心得ました」
「阿記さまに似て、それは、それは、器量よしの女の子なのですよ」
「拙に似なくてよかった、とおっしゃっておられるようにも、受け取れますが---。ま、母上だけがお会いになって、拙も父上もまだ、顔も見ておりませぬ」
そこへ、与詩(よし 8歳 養女)が女手習所(おんな・てならいどころ)から戻ってきた。
(春信『歳旦の錦絵』与詩のイメージ)
長谷川邸のある三ッ目通りをはさんた東西両側は旗本の屋敷ばかりだから、与詩が通っている菊川橋西詰の手習所は、師匠も女性なら、手習い子もすべて女の子。
つまり、武士の子は、男女7歳にして席を同じゅうせず---を生真面目に守っているのである。
「母上。ただいま、もどりました。きょうも、きちんと、お習字ができました。かね(嘉根ちゃんは、きました---まいられましたか?」
「於嘉根が来ると、誰から聞きましたか?」
「きのう、母上が、父上に、もうしておられました。かねをひきとれたらと---。かねちゃんがきたら---まいられたら、わたくし、おむつをかえてあげます。わたくしのおむつ、のこしてありますね?」
「それは殊勝なおこころがけです。おむつは大切に仕舞ってありますよ。与詩のお嫁入りの荷物の中に入れてあげるつもりです。6歳までお寝しょのくせがあったと、お婿さまにお教えするために---」
「いやでございます---うそでしょう?」
「はい。うそ、うそ。でも、於嘉根は、ここへまいりませんよ」
「どこにゆけばあえますか? かねちゃんは、与詩のいもうとでしょう? そうですね? 兄上?」
「む。そういうことになるのかな---いや、そうでもあり、そうでなくもあり---」
銕三郎は言葉につまった。
正確にいうと、与詩には姪にあたる。
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