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2008.04.13

妙の見た阿記(その3)

与詩(よし 8歳 養女)が、於嘉根(かね 2歳)がきたら、自分が使っていたおむつを、あててやるなどと申しているのでございますよ」
「は、ははは。女の子だの」
夕餉(ゆうげ)をすませ、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が自分の部屋へ戻ったあと、(たえ 40歳)は、平蔵宣雄(のぶお 47歳)に茶を注ぎながら告げた。

銕三郎の子を産んだ、なんといったかな、その---」
阿記(あき)さまです」
「そうであったな。このごろ、新しく知った人の名が、どうも、覚えきれぬ---齢(とし)だな」
「なにを仰せられます、殿さま。50歳には、まだ数年ございます」
「いや、役目の上でのお人なら、覚えるべく努めるから、まあ、不覚はとらないのだが、そうでないお人の名が、どうもいかぬ。あ、このこと、他言するでないぞ」

「その阿記さまでございますが、いかがいたしましょう? 銕三郎は、急に未練たっぷりになってきたようでございますが---」
「女性(にょしょう)との縁が、このところ、薄いようだから、過ぎた日の女性が恋しくなっているのであろうよ」
阿記さまは、武家の奥には、美しすぎます。最初のお嫁入り先は、平塚の太物(木綿衣類)屋の看板むすめとして望まれたらしゅうございます」
長谷川家の容貌(みめ)改良になったやも、しれなかったかな」
「まあ、殿さま。そのことに資(し)さないで、悪うございましたこと」
「許せ。つい、口がすべったわ」
「よけいに、傷つきました」
「は、ははは」
「ほ、ほほほ」

「そうか。銕三郎は、付きあう女性の容貌(みめ)にこだわる年齢を、まだ、抜けておらぬか?」
「殿方は、いくつになっても---」
「いや、そうではないぞ。見た目よりも、賢さ、やさしさぞ」

ちゅうすけ注】宣雄は口にこそしなかったが、いまなら、「テレビの時代劇の女性たちがそろいもそろってそれなりに美人なのは、江戸の実情を反映しておらぬ」と言ったかもしれない。
まあ、あれは虚構の世界のことだが。

「その、なんといった---そうそう、阿記であったな。うん、阿記於嘉根という子とともに実家をでて、江戸か近在ででも独り暮らしをするようにでもなったら、再婚先が見つかるまで、当家としても放ってはおけまい。何がしかの手当てをせねば、な」
「そうなさっていただけると、阿記さまも安心でございましょう」
「ただし、(てつ)には内緒にな」
「心得ております」

「美形というほかに、見てとったことは?」
「親馬鹿とおっしゃられるかもしれませんが、一と目で銕三郎の器量を見抜いた女性でございます、それはもう、若いに似合わず、しっかりなさっていて---」
「そこは、そなたと同じだな。冷や飯食らいのわしの器量を見抜いて、銕三郎を身ごもった---」
「あら。帯に手をおかけになったのは、殿さまのほうだったではございませぬか」
「たしかに指は触れた、が、解いたのは、が自分の手で---」
「20年も昔のことになりました。もう、忘れてしまいました」
「とぼけるでない。こまかなところまで覚えているくせに---」
「ほ、ほほほ」
「は、ははは」

は、『寛政譜』などでは、正妻としては記録されていない。側室という立場でもない。
宣雄が30歳、23歳、銕三郎3歳の寛延元年(1748)正月10日、かねて病床にあった六代目・権十郎宣尹(のぶただ)が34歳で歿した。
親類一統の手配で、急遽、宣尹の妹の養女願いが伺われ、認可されるや、つづいて宣雄との養子縁組が申請された。
それらの手続きがすべて終わり、公けに宣尹喪が発されたのは2月8日であった
もっとも、『寛政譜』のための「先祖書」の呈出は、半世紀後の寛政11年(1799)であったから、宣尹の入寂月日は菩提寺・戒行寺の霊位簿にしたがって申告された。

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(四谷・戒行寺 『江戸名所図会』部分 塗り絵師:ちゅうすけ)

戒行寺の霊位簿をいうと、宣雄が入り婿養子となった、『鬼平犯科帳』の鬼平の義母---波津(はつ)は、これまで幾度も記してきたように、婚儀の2年後の寛延3年(1750)7月15日に亡くなったことになっている。銕三郎5歳の年である。

それで想像しているのだが、波津は、20歳のころから病床にあって30歳をすぎてもふつうの嫁入りができず、宣雄との婚儀後も、いちども起き上がることはなかったであろうと。
だから、実際に家政を取り仕切っていたのは、であったろう。

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(戒行寺 長谷川平蔵供養碑)

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