明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)(6)
「父上。お願いがございます」
夕食の前に、銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの小説の鬼平)が、父・平蔵宣雄(のぶお 49歳 先手・弓の8番手組頭)へ頭をさげ、封書を差しだした。
「きょう、届きましてございます」
差出人を見た宣雄が、
「ほう。あの藤六(とうろく)からではないか」
「はい」
「大事なく、勤めているか?」
「それが---」
藤六は、4年前、45歳になるまで、長谷川家の下僕をしていた。
銕三郎が駿府へ、朝倉家からの養女・与詩(よし 6歳=当時)を迎えに行くときに、供をした。
そのときに知り合った箱根・芦ノ湯村旅籠〔めうがや〕の女中頭・都茂(とも 43歳=当時)と意気と躰があい、暇をとって夫婦になった。
【参照】2008年1月16日~[与詩(よし)を迎えに](27) (29) (32) (33) (34)
2008年3月28日[於嘉根という名の女の子] (5)
〔めうがや〕で下働きをしているその藤六が、速飛脚(はやびきゃく)便をよこしたのである。
文面は、阿記(あき 25歳)お嬢さまの躰の具合がよろしくない。お嬢さまは、あちこちに気をつかってか、知らせないでと都茂にはおっしゃっているが、銕三郎若さまに来ていただきたいのがご本心のようにおもわれるので、なんとか都合をつけて、お越しねがいたいというのが、手前ども夫婦のお願いで---一日でも早いほうがよろしいかと---。
宣雄は、手紙を内妻・妙(たえ 42歳)へわたし、読み終えるのを待って、
「どうしたものかの?」
「申しあげるまでもございませぬ。さっそくに発(た)たせましょう」
「そうじゃな」
「銕三郎。支度のできしだい、旅発つように---」
「承知いたしました。母上、かたじけのうございます」
「銕三郎。言っておくが、お前も知ってのとおり、先手の組頭に任じられてより、1500石にふさわしい供ぞろえを求られておる。しかし、おいそれと家従をふやすわけにはまいらぬ。したがって、このたびの旅には、供をつけてやるわけにはまいらぬ。なにごとも、そち一人でまかなういように---」
「心得ました。父上、3日のうちに発たせていただきます。とりあえず、このこと、速便で藤六へ報せます」
しばらく稽古を休まねばならなくなったことを師に告げると、わけを聞きとった高杉銀平(ぎんぺい 60歳すぎ)が、
「些少だが、於嘉根(かね 3歳)とやらという長谷川の和子への土産のたしに---」
紙につつんでわたしてくれた。
師の前を下がると、さっそくに岸井左馬之助(さまのすけ 22歳)が道場の外へ連れ出し、
「おふさどのの婚礼の日取りがきまった。5日後だ」
「なにをとぼけたことを言っておる。左馬さん、お紺どのをどう気なのだ?」
半月前、左馬は、隣屋敷の田坂直右衛門(70余歳)の孫むすめ・おふさ(19歳)が、本町の呉服商〔近江屋〕へ嫁に行くといって泥酔し、寡婦のお紺の家へ泊まったのである。
その夜のことは、おんなには縁の薄かった左馬にとっては、極楽で刻(とき)をすごしたほどの愉悦であったらしい。
【参照】2008年7月19日[明和4年(1767)の銕三郎] (3)
そのことを、ぬけぬけと銕三郎に報告したものである。
(国芳『葉奈伊嘉多』 あの夜の左馬とお紺のイメージ)
「そのようなことは、たとえ親友へも、話さないのが、相手に対するおもいやりというものだ」
「しかしな、銕っつぁん。あれが、女躰というものなんだな。精妙で、柔軟で、いたるところが淫らで、満ちて、底なしに欲しがって---」
「もう、よせ」
「いや、話したい---」
「勝手にしろ」
「そのあとも、会ったり、寝たりしているのか?」
「うん。毎晩でも抱きたい」
「ばか」
「お紺さんを、どうするのかってことだが、お紺さんは、いまのままでいいって言っているぞ」
「だから、左馬はお人よしっていわれるんだよ。あの人には、後ろに怖い男がついているのがわからないのか?」
「だれだ?」
「1年で、お紺どのを床(とこ)上手に仕込んだ男だよ」
「うん?」
「もう、会うな。火傷(やけど)する前に手を引け」
「だれが、床上手に?」
「亡くなったご亭主は、甘いものと酒気が躰中にまわっており、夜は役に立たなくなっていたって言ったろう」
「あっ」
「極楽へ、そうそう、たやすく行けたら、坊主どもがみんな職を失ってしまうわ」
「うーん」
旅支度に、ただでさえいそがしいのに、むりやり暇をつくり、〔盗人酒屋〕の忠助(40代)を呼び出し、事情をつつみかくさずに打ち明け、策を頼んだ。
しばらく考えていた忠助は、
「ようも、打ち明けてくださった。なんとか、手を打ちますから、安心して、箱根へいらっしゃってください」
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