{備前屋〕の後継ぎ・藤太郎
「ちょっと、人に会ってくる。今夜は帰れないかもしれない」
手文庫から黒い小石をとりだし、懐紙Iに包んで懐へなおした平蔵(へいぞう 40歳)に、書状と松造(よしぞう 34歳)への指示でおおよそを察した久栄(ひさえ 33歳)はもおおように、
「ごゆっくりと--」
送りだした。
大川端の旅亭〔おおはま〕への道すがら、冬木町寺裏の茶寮〔季四〕へ寄り、女将の奈々(なな 18歳)の耳へ、
「今夜、泊めてもらうことになりそうだ。八ッ半(午後9時)までには着けるとおもう」
双眸(ひとみ)を煌めかせた奈々の胸のふくらみをぽんと叩いておいて、隣の船宿〔黒舟〕の猪牙(ちょき)舟で大川を横ぎり、豊海(とよみ)橋南詰であがった。
(旅亭〔おおはま)のある北新堀大川端 近江屋板)
4年ぶりで見る17歳の藤太郎(とうたろう)は、少年からすっかり青年に変容していた。
部屋におんなっ気きなかった。
どうやら、佐千(さち 38歳)づれではなかったらしい。
「どうした?」
余計なあいさつを抜きで、訊いた。
そういうあいだがらと断じてである。
情意は藤太郎にもたちまち通じたが、目は涙で潤んでしまい、声もかすれぎみで、
「母が------」
絶句した。
「亡じなされたのか?」
首がふられた。
「病いか?」
また、ふった。
「黙っていてはわからぬ。はっきりいえ」
「母は---密通しています」
「密通---?」
うなずいた。、
「おかしなことをいう。密通というのは、夫がいるおんなが別の男と通じることだ。佐千(さち)どのは、そなたたちのお父ごとは死別なされたと聴いた。再縁なされたのか?」
また首をふった。
「それでは、密通ではない。躰を接しあう男友だちができたということだ」
「許せません」
「許さないとか、許すとかの問題ではない」
「------」
「佐千どののためには、祝賀してあげてもいい」
「殺してやりたい」
「だれをだ---母者をか?」
首をふった。
「男をか?」
うなずいた。
平蔵は、ふところから黒い小石を取りだし、示した。
「覚えておるか? われが与板を離れる日、藤太郎どのが、渡船場でくれた黒川の小石だ。われは、佐千どの、藤太郎どのとおもい、大切にしまってきた」
藤太郎が胸をつまらせて泣いた。
「その母子に、もしものことがあったら、黙ってはいまいとおもっていた」
【参照】2011年3月15日~[与板への旅] (11) (14) (15)
しばらく泣かせておいた。
「藤太郎どの。この宿には2人で浸(つ)かれる湯殿がある。もちろん、男とおんなが共湯するためにしつらえたものだが、男同士で浸かってもおかしくはない。帳場へいいつけてきてくれ。涙を拭いてからゆけ」
平蔵が笑うと、藤太郎も泣き笑いになった。
2人で並んで湯桶に浸かり、耳元でささやいた。
「この湯殿には、除きの隠し穴があるそうな。男同士で入れば、きっとぞかれていよう」
「男同士を---?」
「そういう趣味の者たちもいるのだ。ところで、藤太郎どのは、おんなを抱いたことはあるか?」
首をふった。
「抱きたいとおもったことは---?」
うなずいた。
「正直にこたえてくれ。お母ごが男友だちに抱かれているとしったとき、それほどなら、自分が抱いてもいいとおもわなかったか。もちろん、母と子が番うのは畜生道であることは承知ておる、しかし、ほかの男に母が汚されているのであれば、自分が---とおもうのも、子として孝道といえないこともない」
藤太郎が平蔵を凝視した。
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