〔蜂須賀(はちすか)〕の為五郎
『鬼平犯科帳』文庫巻19の巻頭におかれている[霧の朝]は、鬼平になにかと協力する深川・万年町のご用聞・政七の下ッ引き〔桶屋(おけや)〕の富蔵夫婦の貰いッ子・幸太郎(4歳)が誘拐される事件である。
誘拐したのは、〔蜂須賀(はちすか)〕の為五郎の情婦お安。
というのも、この春、親分の用で麻布へ出向いた富蔵が、鳥居坂でばったり出くわして捕らえた殺人強盗犯・〔蜂須賀〕の為五郎は、打ち首になった。お安はそれをそれを逆恨みして、幸太郎を拐わかした。
いまは品川で乞食をしている幸太郎の産みの親・吉造夫婦までからんできて、てんてこ舞いの展開。
年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:尾張(おわり)国海東郡(かいとうこおり)蜂須賀村(現・愛知県海部郡美和町蜂須賀)。
探索の発端:鬼平が桶富を訪ねていたときに誘拐があったが、手がかりはまったくなし。
乞食の吉造・おきねが、北品川2丁目の裏道の2階の物干しにいた幸太郎ょを見つけた。
結末:幸太郎のいた酒屋〔三河屋〕へのりこんだ夫婦を助けた井関録之助によって、誘拐犯お安と相棒の〔稲沢(いなさわ)〕の倉吉は捕まり、幸太郎は吉造・おきねが返してきた。
(参照: 〔稲沢〕の倉吉の項)
つぶやき:この篇は、『オール讀物』1978年12月号に掲載された。
司馬遼太郎さんの『新史 太閤記』(新潮文庫)は、『小説新潮』1966年2月号から68年3月号まで連載された。池波さんは、親しい司馬さんの作品だからとうぜん読んでいる。
その文庫・上巻p143あたりから、藤吉郎と蜂須賀小六の関係が語られる。池波さんがそのエピソードのせいで〔蜂須賀〕の「通り名(呼び名)」をつかったとはいわないが、否ともいえまい。
吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)は、蜂塚がなまったとの説を否定し、「須賀」つまり沙地がもとであろうと。
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