〔男川(おとがわ)〕の久六
『鬼平犯科帳』文庫巻24に所載、池波作品としては永遠に未完の長篇[誘拐]に登場する、〔三河(そうご)〕の定右衛門(2代目)の配下。3年前に病没した初代の定右衛門の時代からのその下にいた。
(参照: 〔三河〕の定右衛門の項 )
おまさの監禁場所である、品川宿はずれの旅籠〔日野屋〕に姿を見せたところを、彦十が認めた。
(参照: 女密偵おまさの項)
年齢・容姿:40男。身のこなしに隙がない。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたごおり)男川(おとがわ)村(現・愛知県岡崎市大平町)
池波さんは(おとこがわ)とルビをふっているが、地元では(おとがわ)と呼んでいる。
明治22年(1889)から昭和3年(1928)まで額田郡、男川(おとがわ)・乙川(おとがわ)ぞいの、欠(かけ)、小美(おい)、高隆寺、丸山、大平、洞(ほら)の6カ村が合併しての自治体名。小美をのぞく5カ村名が町名として残っている。「大平町」としたのは、合併村の役場がおかれたところというにすぎない。
青森県下北半島にも「男川」があるが、京都には遠すぎる。
探索の発端:〔相川(あいかわ)〕の虎次郎が、お熊婆さんの茶店〔笹や〕へ、おまさの所在を聞きにきて以来、おまさは〔荒神〕のお夏からさしむけるし暗殺者を覚悟していた。
その矢先、密偵たちが見張る中、おまさが両国橋の上で、〔相川〕の虎次郎と面識のある浪人・神谷勝平ほかに誘拐された。
結末:全鬼平ファンが気にしているが、いまのところ、不明。別人の手で、その後の経緯と解決策が示されるかも。
つぶやき:読み返してみて、池波さんの構想が、いくぶん、読みとれそうな気がしてきた。
以前にも、何度も読んでいたのだが、そのころは五里霧中だったのに。
たとえば、p147の5行目 新装版p140の4行目の「大川橋」は「両国橋」でないと辻褄があわない、というところも見えてきた。
2005年12月6日(月) 取材リポート
宿泊した岡崎ニュー・グランド・ホテルの前を流れている大きな川が乙川(おとかわ)だと、タクシードライヴァー氏から教わった。
この乙川と同じ読みをするが、こちらは「男川」と書く。どちらも矢作川(やはぎかわ)の支流である。
名鉄名古屋本線の「東岡崎」駅から1駅東の、普通しか停車しない小駅。
名鉄「男川」駅
昼間の普通電車は30分に1本の運行なので、時間を節約して、車窓から駅名標識板を撮影しただけで、下車取材はしなかった。
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コメント
最終ページ、男川の久六はいったい何を企んでいたのでしょうか。
24巻を手にする度に、いつも淋しさを感じます
これで「鬼平犯科帳」が永遠に終わりかと思うと。 誰かこのストーリーを完結して欲しいと願ってました。
この篇を完結する人がいるとすれば、それは
常に池波さんの頭の中の創作の過程を推理し研究されている西尾先生の他に適任者はいないと思ってます。
一方、最近は永久の謎のまま、鬼平ファンが心の中で推理し、それぞれの平蔵に夢を託した方が良いよう気もしてきました。
投稿: みやこのお豊 | 2005.06.18 22:38