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2006.11.23

日本左衛門

阿部 猛さん『盗賊の日本史』(同成社)からの引用。

池波さん『男の秘図』のヒーローは、切れ者の幕臣ながら、夜は男女がまぐわう姿態を描いている徳山(とくのやま)五兵衛だが、彼がかかわった盗賊が〔日本左衛門〕こと浜島庄兵衛。

「盗賊浜島庄兵衛は、尾張の足軽友右衛門の子で、幼名を友五郎といった。父友右衛門は尾張の七里(しちり)役所の人夫てであった」と。

〔浜島〕の友五郎? ははーん、池波さんが『鬼平犯科帳』文庫巻6[大川の隠居]で登場させた武蔵・浜崎生まれの船頭も友五郎---無意識のうちに名をかりたかな。

「七里とは、尾張・紀伊・福井・姫路・松枝などの大名が手紙の逓送(ていそう)のために置いたもので、尾張・紀伊のそれがとくに有名であった。東海道では、六郷川・保土ヶ谷・藤沢・大磯・小田原・箱根・三島・元吉原・由比(井)・小吉田・岡部・金谷・掛川・見附・篠原・ニ川・法蔵寺・池鯉附と十八ヶ所」
「四里から七里ごとに役所が設けられ、尾張藩では江戸--名古屋間を最速で五○時間ていどで運んだ」

それぞれの役所に2,3人いた御状送り人夫は、ど派手な衣装で、「腰に1刀、赤房の十手」までさしていたという。

さて、庄兵衛が勤めていたのは金谷の役所---とあり、あることに合点がいった。
大井川をはさんだ金谷は、いまは対岸の島田市に合併した。

島田市の『鬼平犯科帳』のロケーション調べで宿泊した夜、某氏と面識ができた。島田市の中心部で由緒ある質商をいとなんでいらっしゃるご仁で、「当家には、日本左衛門の鑓の穂先がある。左衛門が情人に預けておいたものが、当家へ質入され、そのまま流れたもの」とのこと。

翌朝、さっそく、拝見に訪れ、赤錆の穂先を拝見したが、鑓師の銘が刻印されており、それは、島田の刀工のものであった。

庄兵衛が金谷の七里役所にいたと知り、島田宿にも存在していた情婦、そして穂先の転変も納得がいった次第。

人相書の一部を写す。

 一、 せい五尺八(1メートル74センチ)程
       (当時の男としてはかなり大柄)
 一、 歳ニ拾九歳、見かけは三拾壱弐歳ニ相見え候
       (当時の人は2,3歳の違いが見分けられたのか)
 一、 色白ク歯並常之通
 一、 鼻筋通り
 一、 目中細
 一、 顔おも長なるほう(以下略)

要するに、日中街道を走っているにもかかわらず色白の「イケメン」の若者だった。
すすんで情婦となる金持ちの後家がいたとしてもあたりまえ。

手入れのときはうまく逃げきり、延享4年(1747---長谷川銕三郎が生まれた翌年)、京都の町奉行永井丹波守の玄関先へ、麻裃に大小をさして自主首。翌年江戸へ送られて死罪。
採決を下したのは、火盗改メの徳山五兵衛ではなく、町奉行能勢肥後守。

火盗改メも裁判権は持っていたが、大方は町奉行所へまかした。

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