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2005.07.26

〔鯉肝(こいぎも)〕のお里

『鬼平犯科帳』文庫巻9で、女賊ながら名前を[鯉肝のお里]と、タイトルにされている、したたかな女性。
常陸から上州へかけて跳梁している盗賊〔白根(しらね)〕の三右衛門の配下で、このたびは、上州・沼田の酒問屋〔丸屋〕方へ1年前から住みこみの女中として引き込みに入っていた。
(参照: 〔白根〕の三右衛門の項)
押し込みは1,050余両を奪って成功した。もらった分け前の50両をふところに、仕事にとりかかる半年後まで、お里は博打場への出入りと「男買い」に日を送っている。

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年齢・容姿:かなりの年増。怒り肩で、がっしりとした大柄な躰つき。
生国:不明。記述されていない。
信州・佐久郡で育った鯉を、松本市の桂亭あたりで食べたときの記憶で、池波さんは〔鯉肝〕とつけたかなともおもったが、確証がとれないので、新設した「不明」に分類した。

探索の発端:空腹で牛の草橋上でへばっているやぐら売りの若者(19歳)に、食事をおごってやったところ、誤解した一膳飯屋の女将が若者を裏から逃がしてしまった。

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三つ橋 手前:弾正橋 右手:牛の草端橋 左手:真福寺橋
(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

誤解されたことに腹を立てたお里が、女将に1両をなげつけたのを、店にいた密偵・おまさが見逃さなかった。
おまさが尾行(つ)けると、お里は弾正橋をわたった先の柳町の裏道にある煙管師・松五郎の家へ入った。松五郎は亡夫の父親で、かつては〔長虫(ながむし)〕と呼ばれた盗人だった。
(参照: 女密偵おまさの項)
松五郎の家と背中おわせの家が空いたので、〔大滝〕の五郎蔵とおまさが、夫婦というふれこみで見張りについたが、ひょんなことから2人ができてしまう。ま、この顛末はお里の本筋とは関係がないから、省略しよう。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

結末:お里につなぎをつけにきた旅商人風の男が尾行(つ)けられて、宇都宮城下のはずれの木沢の〔白根(しらね)〕の三右衛門の盗人宿が露見、一味18名が逮捕された。

つぶやき:じつをいうと、〔鯉肝(こいぎも)〕のお里の生家を、いまは佐久市にくみこまれている「熊久保」としたい誘惑に幾度もかられた。
巣鴨の三沢仙右衛門の家の近くに「熊野窪」という地名がある。いや、なんの関連もないのだが、その地名に注意を集めてみたかったのである。「熊野窪」は文庫巻4[霧の七郎]p18 新装版p19に出ている。
余談だが、佐久市には「猿久保」という地名もある。

さらに、余談。〔お里〕という名は、「鯉」から「魚」と取り去って、つけられたか。

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コメント

「熊野窪」を明治の地図で週末確認しました。
JR山手線の大塚-巣鴨を通るときにいきなり崖のように低くなります。そのあたりですね。
現在の地形そのままにあの辺りはかなりの窪地だったのでしょう。

鯉肝は滋養強壮、瞳にいいらしいが、胆嚢には毒もあるというので、まさにというネーミングですね。

投稿: 豊島のお幾 | 2005.07.26 11:53

ああ、あのあたりでしたか。

こんと゜、山手線に乗ったら、窓外を注視します。

投稿: ちゅうすけ | 2005.07.26 13:57

23日のお教室で会員の秋山さんが発表した
「三つ橋」、今日はブログに登場。

「鯉肝」のお里の歩いた道を「名所図会」と「切絵図」でたどり「大根や」辺に行き着きました。

新しいカテゴリーとして「不明」が新設されたので、魅力的な「女賊」が次々と登場し、楽しみです。

投稿: みやこのお豊 | 2005.07.26 18:09

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