19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい(3)
「長谷川さま。八幡さま境内の二軒茶屋のうちの、〔伊勢屋〕倉右衛門のほうをあたってみやしたら、驚くではござんせんか。おけいは後妻の座に居すわっておりやした」
町駕篭〔箱根屋〕の主人におさまった〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 38歳)が、銕三郎(てつさぶろう 25歳)から頼まれた翌日、三ッ目通りの長谷川邸へやってき、報告した。
【参照】2009年4月13日[風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業] (1) (2) (3) (4)
(深川八幡社内 二軒茶屋〔伊勢屋〕)
「おけいは、20歳そこそこにしか見えなかったが---」
「座敷女中頭の弁では、19歳だそうでやす」
「19歳で、あの高級料亭の女将がつとまるのか」
「女中や板場の包丁人たちも、ころっとなびいちまったらしいんでやす」
「ところで、倉右衛門の前妻は、病死かなにか?」
「20年連れそったあげくの、三下り半だそうで---」
「倉右衛門は幾つなんだ?」
「53とか---」
「53歳に、19の後妻か---」
「うらやましいかぎりでやす」
「権どの。うらやんではいかぬ。同情してやれ。毎晩、ねだられたのでは、53歳の躰がつらかろう」
「まったく。38歳のあっしでも、もちやせん」
権七の〔箱根屋〕は八幡宮の境内茶屋も常得意の一つで、出入りしている駕籠舁(か)きたちの耳にはいろんな風評がはいっている。
おけいが倉右衛門とできたのは、仲居としてつとめた5日目だったという。
一度、その躰の味をおぼえた倉右衛門は、これまでの人生がつくづく無駄な52年とおもえたとこぼしてはばからなかった。
もう、座敷に出すのもおしそうで、いっときでも離れていてはほかの男に連れさられると、前妻に200両(3400万円)を渡して離縁し、おけいを本妻になおした。(歌麿 おけいのイメージ)
おけいもこころえたもので、まず、女中頭をまるめこみ、つぎには板長を手なづけ、女将の座を安泰にした。
そのために、50両(800万円)以上の金がつかわれたろうとの、もっぱらうわさという。
それから2ヶ月後、倉右衛門が〔伊勢屋〕を売りに出しているらしいとの風聞を、権七が聞きこんできた。
なんと、おけいが、店の金の130両(約2080万円)、持ち逃げしたのだ。
「やはり、〔たらしこみ〕であったか---」
銕三郎の言葉に、権七は首をすくめ、
「お見とおしでごさいやしたか。それにしやしても倉右衛門は、あんなすごいおもいをした男は、江戸中に、わし、ただ一人---首をくくって、いつ死んでも悔いはねえと、うそぶいているそうでやす」
「〔掻掘(かいぼり)〕のおけいが生きているかぎり、何人の男たちが、倉右衛門と瓜ふたつのたわごとを冥土へのみやげにする羽目になるやら」
(あやうくおれも、その中の一人になるところであったかも)
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