〔数珠(じゅず)屋〕乙吉
『鬼平犯科帳』文庫巻2に所載されている[谷中・いろは茶屋]は、寛政3年(1791)、愛すべきコメディー・リリーフ役の兎忠こと同心・木村忠吾(24歳)が1番手柄を立てる篇である。
忠吾は、〔いろは茶屋〕の娼妓お松の色香を忘れかねて、役宅の長屋を抜け出して谷中へ急ぐ途中で、あお盗めを終えた〔墓火〕の秀五郎(50男)一味を見つけ、善光寺坂の上聖寺(台東区谷中1-5-3)の前の数珠屋の〔油屋〕乙吉方へ消えたのを、寺の塀越しに見張る。
(参照: 〔墓火〕の秀五郎の項)
年齢・容姿:60がらみ。足が不自由で歩くとき躰が傾く。
生国:不明。あえて推察すると、数珠ょを商っているところから京都あたりの生まれかと。いや、三河でも越中ということもある。
探索の発端:先述したとおり、忠吾が偶然に出会い、尾行・見張りをし、急報させた。
結末:鬼平が数珠を求めに入り、金を渡すふりをして、差し出した乙吉の手を取り押さえた。それを合図に、火盗改メの面々が打ちこんだ。死罪であろう。
つぶやき:〔墓火〕の秀五郎の処世訓の一つが、「人間と生きものは、悪いことをしながら善(よ)いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている---」。
長谷川伸師ゆずりの、池波さんの人間観でもある。
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