剣友・長沼又兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録されている[高杉道場・三羽烏]に、福井藩に仕官のかなった田村甚太夫を名乗って、巣鴨の徳善寺へ回向を頼み、その通夜の席でたちまち浪人盗賊に早替わ代りしたのは、20年前、高杉道場で、長谷川銕三郎、岸井左馬之助とともに三羽烏といわれた長沼又兵衛であった。
巣鴨庚申塚 徳善寺はこの右手はるかはずれ
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
又兵衛は、名古屋の役者くずれの盗人〔笠倉(かさくら)〕の太平を家臣に仕立て、100両の回向料を持たせて欲深い念誉和尚を、巧みにたぶらかしたのである。
(参照: 〔笠倉〕の太平の項)
年齢・容姿:50近い。堂々たる体躯。見るからに颯爽としている。
生国:]武蔵(むさし)国江戸・下谷(したや)ニ長(にちょう)町(現・台東区上野5丁目)。
500石の旗本・長沼家のの次男。
探索の発端:船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八は、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、引き込みをしていた〔砂蟹(すながに)〕のおけいを見知っていた。
船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八は、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、引き込みをしていた〔砂蟹(すながに)〕のおけいを見知っていた。
(参照: 〔砂蟹〕のおけいの項)
おけいが、むかしなじみの太平を又兵衛へ引き合わせた。その時、又兵衛の名前が出て、鬼平の知るところとなった。
結末:家督を継いでいる兄・伊織の体面のためにも、名乗っている田村甚太夫のまま死んでもらうしかないと鬼平は判断、数合刃をあわせたいすえ、ついに殪しえた。
つぶやき:20数年前、師の高杉銀平が又兵衛にだけは目録を授けなかった理由は、小説の中では沈黙のままだが、剣であれなんであれ、修業は人格陶冶のためのものとかんがえると、銀平師のおもわくも読めてくる。
師の留守中に目録を盗んで消えた又兵衛に、はげしい怒りをたぎらせた銕三郎の義憤もわかる。
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