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2006.02.24

金貸し・松井四郎兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に入っている[寒月六間堀]に登場する金貸し・松井四郎兵衛の本当の姿は、さる藩の藩士だった山下藤四郎時代に、妻子がありながら美貌の市口伊織に男色をしかけて抵抗されたために伊織を殺害して江戸へ出奔、深川・西平野町で高利貸しをしている。
その四郎兵衛(藤四郎)を、息子・伊織の20余年にわたって敵(かたき)と探し求めてきたのは、伊織の父親・瀬兵衛(71歳)であったが、本所・二ッ目通りの弥勒寺前のお熊の茶店の隣の〔植半〕の庭に空腹のために倒れこんだ。
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弥勒寺門前の〔植半〕。画面中段からやや下寄りの右端。
(〔『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50がらみ。肥え、あぶらぎった大男。太い華、厚い唇。右の耳がないのは、抵抗した伊織に斬られたため。
生国:瀬兵衛老人は、京都の知人宅に老妻を待たせているというから、山下藤四郎も西国の藩の出身とおもうが、逆敵討ちをはじた瀬兵衛老人が藩名を明かさないので、不明。

事件の経緯:瀬兵衛老人の目的を聞いた鬼平は、逆敵討ちが法に触れるとしりながら、助力を申し出た。藤四郎の一行を六間堀に架かる猿子橋のたもとで待ち伏せ、4人の用心棒浪人を打ち倒した鬼平。瀬兵衛老人もようやくに藤四郎を刺殺した。
その瀬兵衛老人に、鬼平は紙入れを押しつけ「巡礼にご報謝いたす」。

つぶやき:子の敵を親が討つことを逆敵討ちと呼んで、幕法は禁じていた。鬼平は、それを承知で市口瀬兵衛に助力したのは、単に、20余年にわたる瀬兵衛老人まの苦労に同情したからではあるまい。逆敵討ち禁止令そのものを人情に悖るものとかんがえていたからであろう。いや、鬼平というより、池波さんが、だが。

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