« 〔薬師(やくし)〕の半平 | トップページ | 〔蝋燭(ろうそく)屋〕六兵衛 »

2005.12.06

〔日妻(ひづま)〕の文蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収まっている[おしゃべり源八]で、を記憶喪失にさせたのは、残忍な畜生ばたらきが専門の〔天神谷(てんじんだに)〕の喜佐松配下の〔日妻(ひづま)〕の文蔵であった。
(参照: 〔天神谷〕の喜佐松の項)
文蔵は、東海道・藤沢の遊行寺坂で、尾行(つ)けのぼってくる同心・久保田源八を影取(かんどり)の千本松林へ誘いこみ、棍棒で頭を殴って気絶させ、手がかりになる持ち物をすべて処置した。
そのために記憶を失った久保田同心は、江戸まではたどりついてもの、目黒の百姓屋で厄介になつているところを、目黒の行人坂で木村忠吾同心の叔父の中山茂兵衛に見つけられた。
232b
夕日岡・行人坂(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

だが、呼びかける中山叔父にも、久保田は無反応だった。寛政2年(1790)年1月10日のできことであった。

205

年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:「日妻」という地名はないので、不明。
ただ、陸中国巌手郡(現・岩手県盛岡市)に上・下鹿妻(かづま)というよく似た地名があることを付記しておく。

探索の発端:中山叔父による発見から、久保田源八の唯一の所持品である笠に刻印された〔とみや〕の文字を手がかりに、鬼平以下が藤沢へ出張り、遊行寺坂したの茶店〔とみや〕の店主・仁助の記憶から源八が失踪した日の経緯がやや判明した。
それをよりどころに手がうたれた。

結末:ついには、川崎宿はずれの旅籠[大崎屋〕が〔天神谷〕一味の盗人宿と知れて、打ち込み、喜佐松以下7名、すべて捕縛。文蔵もその中にいた。
6名は江戸市中だけでも40人も殺していたから死罪となったが、鬼平は文蔵のみを牢中にとどめおき、のち、密偵としたようだが、その記録はない。

つぶやき:鬼平が文蔵の性根を買ったのは、源八を棍棒で殴りたおし、首を絞めてとどめをさそうとしたとき、源八の幼児のようにあどけない顔をみてと手をとめた、その仏ごころを評価したのであろう。
篇中でも、文蔵は、首領〔天神谷〕の喜佐松の残虐ぶりに愛想をつかせていたとある。

|

« 〔薬師(やくし)〕の半平 | トップページ | 〔蝋燭(ろうそく)屋〕六兵衛 »

146不明」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 〔薬師(やくし)〕の半平 | トップページ | 〔蝋燭(ろうそく)屋〕六兵衛 »