掏摸(すり)の原典
三田村鳶魚『泥坊づくし』(河出文庫 1988.3.4 原典は青蛙房)から、池波さんがネタを得ていたらしいことは、すでに何度も言及している。
今回のは、『週刊朝日別冊』1961年秋風号に掲載された[市松小僧始末]から『鬼平犯科帳』[2-3 女掏摸(めんびき)お富]にまで発展する、池波小説のいわゆる掏摸ものに関連する[艶福家市松小僧]の紹介である。
ついでに記すと、池波さんの掏摸ものは、[市松小僧始末]が初出のはず。長谷川伸師に掏摸ものがあるかどうかは、まだ調べていない。
江戸中の評判になったことから言えば、稲葉小僧より市松小僧の方が四十年早いのです。
前者は天明期(1780年代)に大いに盗(つと)め、市松小僧は寛保期(1740年代)だったとするが、泥棒の優劣(?)は、活躍期の早い遅いで決まるわけのものではなく、手際の鮮やかさ、組織の統率力が語られるべきであろう。ところが、
同じ泥坊でありましても、市松小僧は掏摸であるだけに、盗みについての話も伝わりません。
では、どうして泥坊として名が高まったのか。
勿論無宿ですけれども、ただ麹町に住んでいたというだけで、その本名も知れないのです。
[市松小僧始末]では、池波さんは又吉という名を与えている。勝手につけられた名前であろう。
掏摸という以上、鈍重なやつはいない、いずれも敏捷なやつにきまって居りますが、身体にしても骨の細い、締まった肉づきの小男、小屋の軽い様子が想望されます。
初代佐野川市松が好んだ石畳模様、あれを市松染といいまして、寛保元年以後の流行でありました。
それが渾名になったので、流行の模様を渾名に呼ばせるだけでも、小綺麗に聞こえますが、よっぽど男ぶりがよかったとみ見えて、麹町四丁目の伊勢屋重右衛門の娘、当年十八歳になるのに惚れられました。
[市松小僧始末]で、市松小僧又吉に惚れるのは、大柄すぎて婚期を逸しているおまゆだが、こちらは22歳、身の丈6尺(180CM)、体重22貫(88kg)。
小柄な市松小僧は、おまゆに抱かれると、その豊満に体に母親に甘えているような気分になる。
これは[1-5 老盗の夢]で、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助が大女に魅かれた原型でもあろうか。
[市松小僧始末]には、弥七という御用聞きも登場する。『剣客商売』の四谷の親分さんも弥七だ。
こういう読み方が邪道であることは重々、承知の上で、余興として記している。
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