〔殿(との)さま〕栄五郎
「よく、やられた」
小野田治平(じへい 40歳前後)が、銕三郎(てつさぶろう 24歳)の酌をうけ、面高(おもだか)の細い目をいっそう細めて称讃した。
3夜前、浪人盗賊・〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう)の居合をかわしえた事件の顛末の報告と教導のお礼に、小野田食客と剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)を、銕三郎が本所二ッ目ノ橋際の軍鶏なべ〔五鉄〕へ招待しているのである。
というのも、今回の〔蓑火(みのひ)〕一味の〔伊勢屋〕襲撃を未然にふせげたので、隣家の火盗改メ・松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150石)の筆頭与力・土方万之助(まんのすけ 50歳)から、金一封が出た。
「お手前の手くばりで、予告された日の押し入りは回避できたが、賊をとらえたわけではないので、お上からのお褒めはござらん。したがって、これは、小職のこころざしとしての才覚でござってな---」
土方筆頭は、もったいをつけてわたしてよこした。
(ふざけるんじゃないよ。賊に襲われないほうが手柄が大きいはずではないか。お上は間違っている)
銕三郎は思ったが、この例で、論功行賞は派手な解決に厚いことを肝に銘じた。
1両のうち、半分の2分(1両=16万円換算て8万円は〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)へ、見張り賃としてわたしずみである。
1分(4万円相当)は、あの夜、栄五郎に斬り裂かられた袂のつくろい賃として、新妻・久栄(ひさえ 17歳)の口をふさいだ。
今夜の軍鶏なべは、三次郎(さんじろう 19歳)に、これでまかなってくれと、残りの1分を先払いしておいて、2階へあがっているのである。
「いえ。小野田さんのご師範の成果です」
銕三郎は、また、酌をする。
小野田剣客は、酒は嫌いではないから、注がれればいくらでも呑む。
「どんなふうに抜きましたな」
左馬之助が立って、栄五郎の剣筋を実演してみせる。
「鞘の引き出し方が、わが不伝流とはいささか異なり、短かすぎる気味があるが、それが東軍無敵流かも---」
「その浪人、背丈が5尺1寸(153cm)ほどの小柄だったので、短く見えたのかもしれません」
左馬之助は逆に、5尺7寸(170cm強)もある、当時としては大柄な躰形をしている。
「斬りあげてきたのを、銕っつぁんは、左足をひいてかわしておいて、抜く手もみせずに相手の親指を斬っていました」
「小野田さん。胴などを斬ってしまうと、あと始末が面倒だし、足を狙っても一生、うらまれます」
「さすがに、よく気づた」
「一瞬の判断でした」
「おみごと。うらみを残しては、あとを引く---」
しかし、〔殿さま〕栄五郎は、終生、銕三郎---いや、のちの長谷川平蔵宣以(のぶため)---鬼平をうらんだ。
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ)はともかく、一味の盗人たちは気づかなかったが、左手の親指の先をなくしてからの栄五郎の太刀筋は、鋭さを失っていたからである。
銕三郎は、高杉師にはもちろん、左馬之助にも、小野田治平にも洩らさなかったが、栄五郎の指を落とすことで、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳)の無念を晴らしてやったつもりである。(歌麿 お竜のイメージ)
あ、このこと、久栄に、つゆ悟られてはならないのは、言わでもがな---ご同席の貴公もお含みおきを。
【参照】2009年1月25日[ちゅうすけのひとり言] (30)
2009年1月23日~[銕三郎、掛川で] (3) (4)
2008年11月25日[屋根舟(やねぶね)}
2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組み頭] (7) (8) (9)
2008年11月7日~[『甲陽軍鑑』] (1) (2) (3)
2008年9月7日~ [〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
【参照】2009年2月26日~[銕三郎、二番勝負] (1) (2) (3) (4)
2008年12月21日~[銕三郎、一番勝負] (1) (2) (3) (4) (5)
【参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) 9)
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