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2006.05.26

聖典『鬼平犯科帳』のほころび

よくできている聖典『鬼平犯科帳』にも、いくつかのほころびがある。
いや、20年近くも書きつづけられ、ファンを魅了しつくたのだから、そんなほころびには目をつむれ、となだめる識者も少なくない。NHKのプロデューサーだった立子山さんもその一人(立子山さんのご父君は、池波少年の西町小学校時代の担任だった)。

そのとおりなのだが、そのほころびから、池波さんの素顔がうかがえたり、執筆時の秘密が洩れているなら、深読みファンとして指摘しないわけにはいかない。

文庫巻1の[本所・桜屋敷]に、こんな数行がある。

 長谷川平蔵の生いたちについて、のべておきたい。長谷川家の
 祖先は、むかしむかし大和(やまと)国・長谷川に住し、戦国末期
 のころから徳川家康につかえ、徳川幕府なってからは、将軍・旗
 本に列して四百石を知行(ちぎょう)した。
 それより五代目の当主・伊兵衛宣安の末弟が、平蔵の父・宣雄
 (のぶお)だ。
 家は長兄・伊兵衛がつぎ、次兄・十太夫は永倉正武の養子とな
 った。こうなると、末弟の宣雄だけに養子の口がかからぬ以上、
 長兄の世話になって生きてゆかねばならぬ。
 長兄がなくなり、その子の修理(しゅり)が当主になってからも、
 宣雄はこの甥(おい)の厄介(やっかい)ものであった。
                         p55 新装p59

この文章の由来は、池波さんが30歳すぎのときに長谷川平蔵を『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』で見つけたという、その『寛政譜』から書き写した[長谷川平蔵年譜 基メモA]と題したノートにある。

2_3
[長谷川平蔵年譜 基メモA]の表紙

連載のずっと前に準備されたこのノートは、台東区の池波正太郎記念文庫のガラスケースに入れられ、最初のページが開かれている。
そのページは、

Notekeizu
青○が宣雄

となっている。
当時、芝居の台本作家として立ったばかりの池波さんは、『寛政重修諸家譜』を購うだけの経済的な余裕はなかったろうから、長谷川伸師邸の書庫の『寛政譜』を借り出し、大急ぎでくだんのノートに書き写したはずである。
その際に、写し間違いをした。

『寛政譜』によると、長谷川一門の家系図は、こうなる。

Keizu_1

宣雄と宣以(のぶため 小説の鬼平)の部分をクロースアップして掲げよう。

Nobuokeizu

青○の宣雄は、末弟ではなく、三男・宣有が、看護にきていた、備中松山藩・元藩士で浪人・三原七郎兵衛の娘に産ませた子である。
したがって、六代目の伊兵衛宣尹(のぶただ 修理)とは従兄弟同士である。

宣安・長谷川家は、どちらかというと病身の者がおおく、宣雄の父・宣有も病気がちで、養子には出られなかった。

池波さんは、なぜ、宣雄の位置を写しちがえたか。
この人特有の、回転の早いあたまのめぐり、寸時も休むことのない決断---が裏目にでたときに生ずる早合点が遠因とおもう。

池波さんは、その後、『寛政重修諸家譜』をらくらくと買える流行作家になり、事実、池波記念文庫へ移された書斎には、その『寛政譜』が麗々しく置かれているが、長谷川平蔵家の家譜は、開かれることはなかったのであろう。
したがって、宣雄の正しい位置も、『鬼平犯科帳』の連載中、訂正されることはなかった。

つぶやき:
宣雄の従兄で六代目の当主・宣尹も病身で、出仕したりしなかったりであった。だから、二代つづきの厄介者の宣雄は、スペア要員という形で家にのこされていた。

その間、時間があったので、知行地上総(かずさ)の寺崎へ新田開拓の指導へ行き、身の回りの世話をした庄屋・戸村家の娘銕(てつ)三郎を身ごもらせたのであろうか。
平蔵宣以の息・辰蔵(家督後は宣義 のぶのり)が幕府へ呈出した「先祖書」の、宣以(銕三郎)の出生地の記載「武蔵」を信用すると、庄屋の娘は、江戸の長谷川家の屋敷へ伴われ、そこで銕三郎を産んだことになる。 

                    
お断り:
じつは、六代目の当主・宣尹の妹・波津(小説での名)---つまり、従妹との結婚についても書くつもりだたが、時間がきてしまったので、それは、明日に。

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コメント

ちゅうすけ先生、女子は家系には載せなかったでしょうか?

投稿: おっぺこと那の津のお加代 | 2006.05.26 14:13

いえ、だれそれに嫁いだとの記述つきで載っていますから、閨閥の考究もできます。

ただ、名前は載っていないません。
波津は、池波さんの造語(命名)です。

投稿: ちゅうすけ | 2006.05.26 15:03

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