おまさのお産(8)
「兄さま。母上が、よろしければお茶話に参られよと仰せでございます」
書院で考えごとをしていた平蔵(へいぞう 38歳)に呼びかけたのは、妹の与詩(よし 26歳)であった。
10年前に、三宅半左衛門徳屋(とくいえ 62歳=当時 小十人組)と離婚していた。
このことについての疑問は、下の【参照】に詳述しておいた。
【参照】2010年1月5日[与詩の離婚]
離婚後、長谷川の分家で大身の後家・於紀乃(きの)の介護に行っていたが、老女の歿後に戻ってき、これも後家となって10年近い、平蔵の実母・妙(たえ 58歳)の身のまわりの世話をしていた。
当人は養女として育った長谷川家の居ごこちがよいらしく、当主である兄・平蔵が持ちだす再婚話を拒否しつづけていた。
「銕(てつ)や。与詩のことだがの---」
与詩が母家の台所で茶の用意の用意に座をはずしているので、また、嫁入り話かと、
「どういうわけか、再縁する気持ちがないようです」
「違う、ちがう---あ、中(うち)さん、もそっと右の上がだるうての---」
妙は、かかりつけの座頭・中の市に按摩(あんま)させていた。
夫・宣雄(のぶお 享年55歳)が存命のころは、先手組頭や京都町奉行の内室らしく格式ばっていたが、その没後、離れに隠居してからというもの、村方(ざいかた)の地がでるらしく、形式よりも実を大切にするようになってきていた。
「う、うー---そこをもそっと強く---そう、じゃ、それ、じゃ。銕や、与詩のことというのはな、久栄(ひさえ 31歳)がお参りに行くといっている成田不動さんへの旅に、いっしょにやってもらえまいかの?」
「与詩がいなくては、母上がご不自由なのでは---?」
「成田詣でというても、往還で4日もあれば足りよう。実家の寺崎村への往復とどっこいどっこいじゃ。4日や5日など、あっというまよ。それより、与詩の気を散じてやることのほうが肝心じゃ」
与詩が茶の用意をして入ってくると、
「たのみましたぞ」
茶を喫しおえて帰る中の市を内玄関まで送りがてら、手をとってやろうとし、
「殿さま。こちらの間取りはしかと覚えております、なまじ、お助けいただきますと、転びかねません」
その言葉でひらめいた。
「座頭どの。寸時、話をききたい」
書院へみちびき、
「通いなれている患家の間取りは、たいてい覚えておるのかな?」
「目が見えるお方の10倍は細心でございましょう」
「というと、口移しで間取りを伝えることもできるかの?」
「お書き写しになさる方がお間違いにならなければ---」
「銭のしまいどころも---?」
「耳で、ほぼ---」
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