おまさのお産(4)
天明3年(1783)が明けた。
長谷川平蔵宣以(のぶため) 38歳。
久栄(ひさえ) 31歳。
辰蔵(たつぞう) 14歳。
初(はつ) 11歳。
清(きよ) 8歳。
銕五郎(てつごろう) 3歳。
妙(たえ) 60歳。
ついでのことに、里貴(りき) 39歳。
新年のごたごたのあいだにも、久栄は下総(しもうさ)国印旛郡(いんばこおり)酒々井(しゅすい)村への旅の支度をすすめていた。
供は、腰元のお芭瑠(はる 20歳)と下僕の日出蔵(ひでぞう 51歳)ときまった。
じつは、芭瑠は婚約がととのい、旅から帰ったら嫁することになり、久栄がついでのことに成田不動の節分会(せつぶんえ)も受けてきたいと望んだので、お芭瑠は嫁げばままなるまいと、平蔵が気をきかせた。
道順は、佐倉藩の用人つき・志田数弥(かずや 30歳)が、小名木川から新川を経由して行徳河岸で下船、八幡へ。さらに船橋、大和田(現・八千代市)、臼井、佐倉を教えた。
ふつうなら宿泊なしの行路だが、おんなの足だと大和田で一泊をおすすめしおくとも。
久栄とお芭瑠のはしゃぎぶりを横目に、平蔵は登城時にもたずさえいる佐倉城下の怪盗の記録を、暇さえあればめくっていた。
最初の盗難は、佐倉城の東の弥勒町(みろくまち)の酒蔵[土井〕治兵衛方で、主人の寝室の違い棚から12両(192万円)が消えていることに気づいたのは、一昨年の暮れであった。
最初は、家族が疑われ、つぎに使用人が詰問されたが、だれも白状しなかった。
疑念が疑念を呼んだが、1ヶ月後に、新町(しんまち)の呉服舗〔奈良屋〕重太郎方でも手文庫から3両(48万円)が消えたので、町奉行所ではどうも怪盗らしいとふんだ。
つづいて同じ町の筆墨商〔紫石(しせき)屋〕吉田伝左衛門方から5両(80万円)が忽然と消えていた。
それからしばにくは怪盗はあらわれなかったが去年の夏の終りごろ、宮前小路の武家屋敷・町田多膳が6両(やられた。
町田用人は現藩主・堀田相模守正順(まさあり 39歳)の生母の舎弟にあたる。
藩主から町奉行所へ叱声がとんだ。
あざ笑うように、つづけさまに間(あい)之町の鉄物問屋〔升屋〕佐平治方と荒物商〔関屋〕郡右衛門方へ侵入し、3両ずつを奪った。
どの家も戸締りが破られた形跡はなかった。
もの音もせず、怪盗の姿を見た者もいなかった。
当初は魔性あつかいされた。
藩の重役の町田家はともかく、魔性が豪商ばかりを選ぶというのが解(:げ)せなかった。
平蔵としては、久栄が酒々井村のついでに、佐倉城下で被害店からききだす問いを考案しなければならなかった。
久栄はこれまで盗賊探索にはかかわっていない。
だから、問いかけもできるだけ簡単なものに練りあげるしかない。
こみ入った質問は、町奉行所の与力にするしかない。
| 固定リンク
「080おまさ」カテゴリの記事
- おまさ、[誘拐](2012.06.19)
- おまさ、[誘拐](12)(2012.06.30)
- おまさ、[誘拐](11) (2012.06.29)
- おまさ、[誘拐](10) (2012.06.28)
- おまさ、[誘拐](9) (2012.06.27)
コメント
亭主の好きな赤烏帽子---ならぬ、探索ごっこというわけで、佐倉では、平蔵さんに代わって久栄さんが捕りものですか? いよいよ、「鬼平一家犯科帳」ですね。
投稿: tomo | 2011.07.01 06:10
>tomo さん
平蔵もようやく38歳になりました。14歳で三島宿でのお芙沙との初体験から24年がすぎたわけです。
あれから、10指をこす女性との交渉をつみ重ね、西丸の書院番士としての経験も10年目にはいります。幕府の上の方々も、この有能な幕臣の栄転先を考えてやらないと。
女性体験は、そろそろ、あがりでしょうか? しかし、38歳といえばまだ男ざかりですからね。
いつまでも、頼まれ探索ではすまないでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2011.07.01 08:41