おまさ、[誘拐](9)
〔峰山(みねやま)〕の初蔵(はつぞう 50男)一派と〔荒神(こうじん)〕のお夏(なつ 25歳)一派が、箱崎町2丁目の醤油問屋〔野田屋〕卯兵衛方を襲う文庫巻23の中の長編[炎の色]を、このブログがその続編[誘拐]を書くというので、再読なさったファンの方々も多いと予想している。
もちろん、楽しみ方はそれぞれだから、聖典と離れた伸転をしているブログはブログ━━と割りきってお考えの向きの方もすくなくはあるまい。
たとえば、〔峰山〕組は2艘の荷舟に初蔵以下15人は入り堀へ、先発した〔荒神〕組17人は表戸から侵入するはずであったが、表戸組は向かいの松平伊豆守(信明 のぶあきら)の下屋敷(聖典旧版p262に中屋敷とあるのは近江屋板のミス。下屋敷)からあらわれた同心・小柳安五郎、木村忠吾、松永弥四郎、岸井左馬之助、丹羽庄九郎、辰蔵に斬りまくられた。
〔峰山〕組は、平蔵(へいぞう 49歳)独りに、「貴様だけは許さぬ」と逃げる肩から背中を袈裟がけに割られた初蔵は堀へ、あとの賊たちも腕や片足を斬りおとされ、あげくのはてに船手方・向井将監(しょうげん)配下によって熊手などで全員捕らえられた。
なに、船手方━━平蔵(へいぞう 49歳)の内室・久栄(ひさえ 42歳)の父・大橋惣兵衛親英(ちかふさ 83 歳 200石)が7年前に船手頭で布衣の祝いをしたことを報告くしたっけ。
あのご老躰、いつまで船手頭を勤めていたのかな?
【 参照】2012年5月1日[義父・大橋与惣兵衛親英が布衣(ほい) ]
疑念を質(ただ)すために『寛政譜』をあらためてみたら、なんとこの事件の2年後の寛政8年春まで現役を勤めていたではないか。
平蔵から依頼され、
「婿どのの勇み姿を拝ませてもらおう」
老骨に鞭うち、直接に指揮をとったかもしれない。
そうおもって読むのも一つのたのしみであろう。
もっとも、ちゅうすけは、事件の年代からいって、平蔵を軽視していた松平定信が解職された翌年のこの事件、宰相の地位に就いた伊豆守は平蔵をどう遇したかのほうに興味がある。
病室から外へでられるようになったら、図書館がよいをして調べてみたいことの一つである。
【参照】松平伊豆守信明の個人譜は、2012年1月7日[「朝会」の謎] (7)
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