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2011.01.06

おみねに似たおんな(4)

「お(くめ 39歳)が、〔染翰堂(せんかんどう)・吉沢〕の内儀から、そっと訊きだした、女中・お千世(ちよ 19歳)の身上(しんじょう)でございます。筆運びが善太(ぜんた 10歳)より劣りますから、ご判読のほどを---」
亭主づらの松造(まつぞう 29歳)は謙遜したが、かなりの筆跡であった。

生国       江戸・本所の横十間川べり
育った土地   下野(しもつけ)国芳賀郡(はがこおり)鹿(しか)村
なまり       ほとんどなし。
身請け許(もと) 田原町3丁目の口入れ〔足利屋〕
雇い入れた歳月 去年の出替わり期
勤めぶり     手ぬきはない
男出入      手代に秋波めいたものをおくったことがある
外出の口実    深川の伯母の病気見舞い
           主人の許しをうけた上で

平蔵(へいぞう 35歳)は、生地の横十間川べり、身請け許の〔足利屋〕の項に目を光らせた。

登城してから、小川町の勘定奉行所の見習い・山田銀四郎善行(よしゆき 37歳)のところへ、松造をやった。
銀四郎とは、〔強矢すねや)〕の伊佐蔵(いさぞう)の生地のことで、〔五鉄〕のしゃも鍋を振舞ったことがあった。

参照】2010年10月31日~[山田銀四郎善行] () () () (

松造が持ち帰った返事に、平蔵はおどろいた。

下野国芳賀郡鹿村の北隣りが物井村と教えられたのだ。

亀戸天神の西を南北の流れる横十間川の、竪川へのそそぎ口にあたる清水町の長屋に住んでいたおみねの母親・お(こん 28歳=明和4年 1767)の生地も物井村(現・栃木県)
真岡市物井)の生まれであった。

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(下野国芳賀郡物井村=緑○ 赤○=真岡町 明治20年ごろの地図)

だから、亭主・万蔵(まんぞう 35歳=同)が急死したあと、〔法楽寺ほうらくじ)の直右衛門(なおえもん 40すぎ=同)によって女賊に仕立てられてからは、〔物井(ものい)〕のお紺を通り名にしていた。

参照】た2008年5月6日~[おまさ・少女時代] () () (
2009年4月29日[嫡子・辰蔵の誕生] (

10年も前に、おまさ(14歳=当時)と交わした会話もおもいだした。

は、おみねを親類にあずけたといっていたが、おんな好きの直右衛門が好餌を見逃がすはずがない。

みねも躰から---というより、性器から女賊に仕立てられたにちがいない。

(お千世(ちよ)は、おみねの変名---引きこみとおもって、ほとんど間ちがいあるまい)
〔染翰堂(せんかんどう)・吉沢〕につけている、〔法楽寺〕一味の狙いを、どうやってそらすかが厄介だ。

〔盗人酒屋〕の主(あるじ)の〔たずがね)〕の忠助でも生きておれば、〔法楽寺〕の手口や直右衛門の気質を聞きだせるのだが---。

参照】2008年5月5日[〔盗人酒屋〕の忠助] (

11年前にり忠助から、足利からきた直兵衛(なおべえ)と紹介されたのが、首領・〔法楽寺〕の直右衛門で、嘉平がその幹部級の〔名草(なぐさ)〕の嘉平であることは、平蔵もこころえていた。

あの初見にして最後のとき、直右衛門は、本家の大伯父・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 56歳=明和2年  1450石)を火盗改メと名指した。
足利にいても、江戸の偵察はおこたっていなかった。

あのころ、直右衛門は40すぎであったから、いまは50代の前半、盗賊としていちばん脂がのっているころだろう。
いや、躰にもだが、気分的に---。

少々のことでは、狙いをつけた餌食をあきらめないであろう。

やおみねにつづく女賊に性技を仕込んでいるとすると、朝鮮人参をしこたま買いこんでいるか、盗んでいるだろう、と想像し、平蔵はくすりと笑った。
房内篇』の条々をおもいだしたからであった。

(「玉唇(ぎょくしん)」だったけ。そうそう、丹穴(たんけつ)には、里貴(りき 36歳)と笑いあったな)

赤ん坊を産むごとに、黒味をました丹に変わるとも。
里貴は、産んでいない。

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コメント

平蔵さんのひろがっていく人脈、いろいろな場面で有効に働いてきています。やはり、人柄がそうさせるのでしょうが。
女の人ばかりが惚れているのではないですね。

投稿: tsuuko | 2011.01.06 09:21

朝鮮人参が法楽寺の直右衛門につながるとは!
まさに平蔵はもちろん、盗賊もふくめたイタ・セクスアリスですな(笑)
今後の発展を期待しています。

投稿: 左兵衛佐 | 2011.01.06 09:27

物井のお紺さんの娘のおみねさんが19歳で登場してきたということは、このブログが始まってから13年の歳月が流れたということですか。
そうでしょうね、6年もつづいているブログですから。

投稿: tomo | 2011.01.06 09:34

>tsuuko さん
平蔵は、基本的には中央官庁(幕府)の役人ですから、役所内の人脈が大切です。
しかし、民間のいろんな人から発想のバネとなるような刺激をうけることも必要です。

投稿: ちゅうすけ | 2011.01.06 15:43

>左兵衛佐 さん
まあ、朝鮮人参は人生をおもしろく、刺激的にしていくためのサシミのツマみたいなもので。よけいな想像力もつけてくれるのではないでしょうか?

投稿: ちゅうすけ | 2011.01.06 15:48

>tomo さん
銕三郎14歳の初体験から数えると平蔵はいま36歳ですから、13年ですね。
[誘拐]でのおまさの救出が最終目的でから、そのとき49歳と仮定しますと、あと13年ありますが、43歳から49歳の7年間は聖典におまかせすると、あと、6年ですね。いそがないと。

投稿: ちゅうすけ | 2011.01.06 15:58

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