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2008.05.06

おまさ・少女時代

いちばん奥の左隅の飯台に、ちろりとあわびの大洗(だいせん)煮を運び盆に載せてきたおまさ(10歳)は、銕三郎(てつさぶろう 20歳)の横にぴたりとすわり、箸をそろえたり酌をしたりと、甲斐々々しく世話をやく。
(てつ)お兄(にい)さんとお呼びしていいですか?」
つぁんのほうが、拙らしい」
「そんな、もったいなくて」

「あわびの大洗煮、お口に合いますか?」
「大豆にも味がしみていて、おいしいです」
「よかった。このあいだの---おみねちゃんのお父(と)っつぁんが亡くなった宵(よい)、半分お残しになっていたでしょう?」
「あのごたごたで---食べそこなったのです」
「よかった---お嫌いかと思ってしまって---。お父っつぁんの、自慢料理の一つなんです。ほんとうは、おっ母(か)さんがお父っつぁんに教えたんですが---」

参照】 [〔盗人酒場〕の忠助] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)

「お母上はお亡くなりになったんだってね」
「はい。あたしが五つのときに」
おみねどのの齢ごろだったんですね」
「はい。おみねちゃん、可愛いでしょ?」
「拙の義妹(いもうと)の与詩(よし)が、ちょうど、おみねどのの齢のときに、養女にきたんです」
「義妹(いもうと)さんがいらっしゃるのですね?」
「この子を受け取りに、駿府へ行った帰りに、さつた峠をくだったところの倉沢村で、海女のあわび採りを見たのですよ」
「この前、そうおっしゃってました」

参照】2008年1月12日[与詩を迎えに] (23)

_320
(北斎 海女たち)

_280
(歌麿 海女たち)

2人づれの客が入ってきた。
おまさは、すっと立っていって注文を板場の父へ通すと、すぐにまた、銕三郎にぴったり寄り添って、話のつづきをうながす。

「このお店は永いのですか?」
「あたしが三つの時ですから、かれこれ、7年になります。それより、与詩ちゃんのお話をつづけてください」
「あは、はは---当人が聞いたら怒るでしょうが、6歳(=当時)にもなっていたのに、お寝しょうぐせがなおらなかったのです」
「まあ---」
相づちの打ち方も、一丁前の女なみである。

板場から、忠助が呼ぶ。
「はい」
と返事して、できあがった酒と料理を客の飯台へ置くと、さっさと銕三郎の横へつく。

与詩ちゃん、いま幾つですか? お寝しょぐせはなおりましたか?」
「8歳です。手習い所へ通っています。お寝しょうのほうは直りました」
「よかった。訊いていいですか? 与詩ちゃんは、お兄さんのお嫁さんになる人ですか?」
「とんでもない。嫁に出す娘(こ)です。武家の家では、そうやって縁をひろげていくのです」
「よかった」

手習い所と言った時、おまさの瞳がちらっと曇ったのを、銕三郎は見逃していない。

ちゅうすけのひとり言】
おまさは、いつ、どうやって字をおぼえたろう? 手習(てなら)い所に通ったふしはない。
鬼平犯科帳』全篇で、おまさは2度、手紙を書く。
最初は、文庫巻4[血闘]で初登場し、下谷・坂本裏町の一間きりの与助(よすけ)長屋に独り住まいをしていてさらわれた時。

〔しぷ江村、西こう寺うらのぱけものやしき〕 p143 新装版p149

かなが主体だが、漢字もまじっている。
池波さんの気持ちとしては、ひらがなとこの程度の漢字なら、見よう見まねで覚えられるということであったろうか。

参照】2007年7月19日[女密偵おまさの手紙

いや、いつも気になっているのは、盗賊たちの識字率である。
連絡(つなぎ)は、口づたえでいいとして、文章で伝えなければならないこともあろう。双方の識字率が高くないと、どちらかが書けても伝わらない。
盗賊になるぐらいだから貧農の子が多かったろうと推察しては、いけないかも知れないが---。
まあ、首領になるほどの男なら、字をおぼえる訓練に耐えたろうか。

もう一度は、文庫巻22[炎の色]で、

おまさが〔笹や〕へ入って行き、
「お熊さん、たのみますよ」
いうや、お熊婆は万事心得て、奥の方を顎(あご)でしゃくった。
おまさは奥へ入り、簡単(かんたん)な手紙をしたためる。
やがて奥へ来たお熊は、その手紙を持ち、弥勒寺へおもむく。 p61 p60

届け先はいうまでもなく、役宅の鬼平
おまさは、天明8年(1788)に登場以来7年目のはずだが、その間に文字を習った気配はないから、この手紙の文章がどんなふうだったかは、おおよそ推測がつく。

ついでに書き添える。おまさがいつも背負って市中を巡回している箱に張りつけられている紙の文字〔まき紙・おしろい・元結(もとゆい)・せんこう〕([血闘]p139 新装版p146)の字は、誰が書いてやったのであろう。

参照】 [おまさ・少女時代] (2) (3) 
[おまさの年譜
[おまさが事件の発端

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