〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛
「〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛(かくべえ 40歳がらみ)どのについて、お披露目(ひろめ)商いのコツを学んでみよ。あれは、空気に値段をつけるような、珍にして妙な取引きだ」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)が、下僕の松造(まつぞう 21歳)にすすめた。
「空気に値段をつける---?」
「たとえだ。品物の売買をするのではない。風聞を売り買いするのだ」
松造は、わかったような、そうでもないような顔をしたが、ともかく、祇園一帯の香具師(やし)の元締・〔左阿弥〕の2代目に、見習いという形でついた。
【参照】200988~[〔左阿弥(さあみ)〕の円造] (1) (2)
四条河原町上ルに大きな店を構えている禁裏ご用達の白粉舗〔延吉屋〕半兵衛方に、化粧(けわい)指南師としてもぐりこんだお勝(かつ 31歳)を売りだすために、銕三郎が考えだしたのが、景物紙(フリー・ペーパー)・〔化粧読みうり〕の板行である。
着想のもととなったのは、両国広小路で〔読みうり〕の事件物の記事を書いている〔耳より〕の紋次(もんじ 29歳)が、記事下にお披露目(広告)を載せて商舗から金をあつめていたのに、驚嘆したことによる。
【参照】2008年8月12日[〔菊川〕の仲居・お松} (11)
全体がお披露目文の引き札(ちらし)というのはあった。
しかし、料金をとって配る〔読みうり〕に商店の広告を入れたのは、紋次の創案であった。
銕三郎は、その広告枠をうんと多くして配布は景物(無料)とし、事件文の代えて化粧上手になる指南文をお勝に語らせようというわけ。
じつは、そのお勝から、お竜(りょう 享年33歳)の荷を整理していたら、32余両の金がでてき、まさかのときには、うち20両(320万円)は銕(てつ)さまへと、遺言のように書きのこしてあったと、わたされた。
その金を〔読みうり〕の板行のために遣うことにしたのである。
しかし、先行きのこともあり、今後の京でのつきあいをかんがえて、利を〔左阿弥〕一家へおとすように、お披露目枠を8ヶつくり、1枠1両(16万円)とし、うち、扱い手数料を2割5分(1分---4万円)を角兵衛へ払うことにした。
江戸で、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 40歳)が町駕篭屋の権利を買って営業をはじめたとき、プリ・ペイドともいえる駕篭切手の販売元請け権利を1割5分とした。
【参照】2009年4月16日〔風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業 (4)
こんどもそうしようかと、最初はかんがえたが、お披露目枠のばあいは、枠をうめきる義務も〔左阿弥〕に背負わせているし、臨時的な試みなので、1割5分では低すぎようと、2割5分とした。
「いやあ、驚きやした」
その日、一日、〔左阿弥〕の角兵衛について商舗まわりをするはずの松造が半日で戻ってきた。
「どうした? 腹ぐあいでもおかしくなったのか?」
「そうじゃあ、ねえんで。お披露目枠のほとんどが売れちまったんでさぁ---」
「なに? 半日でか? で、どことどこが買った?」
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