〔宮前(みやまえ)〕の徳右衛門
「長谷川さん。江戸のお屋敷はどちら---?」
辞去のあいさつを述べようとしていた平蔵〔へいぞう 37歳)に、なにをおもいついたのか、[宮前(みやまえ)〕の徳右衛門(とくえもん 59歳)が問いかけた。
「南本所の三ッ目通りに、お上から屋敷をいただいております」
「南本所---そこから、深川の黒船橋というのは---?」
「10丁(1km強)ばかりですが、黒船橋にお知りあいでも---?」
「城下はずれ、山道にさしかかる風速(かざはや)村の生まれの箱根の雲助が、そこでたいした成功をしているらしゅうて---」
(どうやら、権七(ごんしち 50歳)どんのことのようだが---)
「ご存じの人ですか?」
「知っているというより、喧嘩相手というか---いや、 もめごと納めの頭(かしら)同士の話し相手というか---」
「奇縁です。それが権七どんでしたら、義兄弟の間がらです」
徳右衛門が膝をうち、
「お旗本の若い仁を頼って江戸へ去ったとは承知していたが、そのお旗本が目の前の長谷川さんとは---人間、長生きをしていると、こんな不思議に出会うこともあるのですなぁ」
嬉しそうに笑った。
笑顔が、幼児のそれように無心に見えた。
泊まっていけとすすめられたが、かつて権七の下にいて、いまは頭をしている仙次(せんじ 37歳)を問屋場に待たしておるのでと断ると、
「お帰りの節は、ぜひ、一泊を---」
約束させられた。
徳右衛門の家から出、洋次(ようじ 35歳)に白旗神社のお守りを2つ渡し。
「一つは勘兵衛(かんべえ 57歳)どんに、〔宮前〕の貸元さんと対(つい)だといって渡してくれ。もう一つは洋次どん、お前さんへだが、決して人目にさらさないように、な」
問屋場には、仙次が若いのと待っていた。
「長谷川さま。箱根の本陣・〔川田〕角右衛門方まで、こちらの春吉(しゅんきち 19歳)が先導いたしやす。もし、芦ノ湯村のほうへお泊りなら、そのようにお申しつけくだせえ」
「いや。本陣でけっこう」
「陽は永くなりはじめておりやすが、なにせ、山の中のことでこぜえやす。ご承知のとおり、関所の大門は六ッ(午後6時)には閉めやす。春吉には山提灯を3ヶ持たしておりやすが、せいぜい、お足元におきをつけなすって」
「帰りに、ゆっくり話そう」
芦ノ湯村の〔めうが屋〕には阿記(あき 享年25歳)との思い出があった。
銕三郎(てつさぶろう)が18歳、阿記は婚家から逃げてきた21歳の人妻であった。
【参照】2007年12月30日~[与詩(よし)を迎えに] (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15)
2008年7月21日~[明和4年(1767)の銕三郎] (11) (12) (13)
(東海道筋には一樹一水、青春の思い出がありすぎる)
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