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2010.02.07

元締たちの思惑(4)

「化粧(けわい)の品々---白粉、口紅、黛(まゆずみ)、香油、鉄奨(かね)、鬘(かつら)や、売薬のように利幅の大きい品は、売りが風評にされやすいてから、目はしのきいた店主なら、お披露目(広告)の大切さをよく知っているはず。京都でわかったことはお披露目の効きもすばやくあらわれるということ。だから、そういう店にすすめるとよろしい。しかし、売薬の選定には注意が必要。効かなかったという風評のつたわりも速い---」

元締衆は笑ったが、実務を仕切る小頭たちは笑わなかった。
それを見定めて、平蔵(へいぞう 28歳)は、いけそうだと判断した。

音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうええもん 47歳)の新造・お多美(たみ 32歳)が、微笑みながら口をはさんだ
「帰らはってから、姐(あね)さんや近所の若いむすめっ子に訊いてみはったらよろしおす。月のものはきちんときてるか? そんとき苦労はないか? 冷え症か? 頭痛は? 肌荒れは?---いうて」

元締たちが顔を見合わせてうなずきあった。
愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 43歳)が、小頭は残り、元締衆は席を変え、近くの〔弁多津〕で手打ち---と提案したので、元締たちは出ていった。

ちゅうすけ注】芝・神明前の小料理屋〔弁多津〕は「のっぺい汁」が名物と、『鬼平犯科帳』巻6[礼金二百両]p24 新装版p25 に初紹介された。
筆頭与力・佐嶋忠介のなじみの店なので、元締衆と鉢合わせしたかも。
もっともこのとき、佐嶋は、先手・弓の1の組の平与力で、火盗改メではないから、江戸城の五門のうちのいずれかの門の警備を指揮していたはず。
非番で、呑みにきていたという線もないではない。

残った小頭たちに、お多美が化粧指南師の手習いは、15日あとからはじめるから、それまでに指南師を置く白粉店のお披露目枠をうめておくように言い、自分も〔弁多津〕へ移った。
多美を案内するとの口実をつけて、〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)も抜けた。

化粧指南の版木は京都からくること、お披露目枠はおのおのの元締分ごとに1枠1両2分(24万円)で、計8枠12両(192万円)、元締方の取り分は2割の2両1分3朱(38万3000円)で、お披露目の板木彫り料はその中から支払うこと、と説明すると、
「なるほど。同じ店がつづけたほうが、われわれの板木彫りの手間賃が浮くってことでやすね」
於玉ヶ池(おたまがいけ)の伝六(でんろく)が早速に理解した。
「元締衆は、そういう細かいところまでには気がまわらないだろうから、手下の若いのを一杯呑ますぐらいの小銭は浮く」

「もう一つ---お披露目の板木彫り師の引きあわせとかなにやかやの相談料として、紋次どのに1板につき1分(4万円)ずつ、元締からとしてわたしてやってもらいたい。その半分の2朱(2万円)は、板元の〔箱根屋〕が戻す」

平蔵は、腹の中では板元の〔箱根屋〕の権七(ごんしち 41歳)に、きちんとお披露目枠の代金を持参した小頭へは、2分(8万円)の報償金(ほうびがね)を出すようにいうつもりであったが、この場では口にしなかった。

平蔵が隠してしておいたことがもう一つ、あった。
京都の〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛が最新板としてとどけてくれた〔みやこ板・化粧読みうり〕である。

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(佐山半七丸『都風俗化粧伝』 東洋文庫から合成)

いつものものが2枚あわさった大判で、[細い目のときと、大きすぎる目の化粧法」をのべたものである。
おそらく、次は、目じりの下がったのと上がったのを出すであろう。
それほど、お披露目枠の申し込みがふえているということである。
江戸では、夏祭りのころの特別号外としよう。


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『週刊池波正太郎の世界 9』[真田太平記 二]が贈られてきた。
上田市の『真田太平記記念館』は4度訪問したし、別所の湯には3回入った。
しかし、上田市というと、真っ先にうかぶのは、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助であるのは、どうしたことであろう。
「忍びのもの」という言葉より、「軒猿」のほうになじんでしまった。困ったものだ。

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