今助(いますけ)・小浪(こなみ)夫婦(2)
「手放しにしといたら、どこで種をおとしてきょるか、わからしまへん。せやから、毎晩、しぼりとってますねん」
千浪(ちなみ 42歳)が盃を干し、上唇を舌でなめた。
すかさず里貴(りき 37歳)が満たしてやる。
「今助(いますけ)元締さんとは、お幾つちがいでした?」
「8つ」
「それでは、毎晩でもつづきますでしょ?」
「おほ、ほほほ、そないでもおへん。ときどき、かんにんして---ゆわれてますえ」
冬木町寺裏の茶寮〔季四〕の座敷であった。
正月なので、午後と夕べの客はとっていない。
近くの長屋に住む、亭主は包丁人見習い、女房は座敷女中の若夫婦が居残って配膳したり、酒を運んでいた。
千浪はぬかりなく、2人に過分のこころづけを渡した。
「おこころづかいなんて---」
里貴が謝絶したが、
「お年玉がわりどすえ」
千浪のほうが世なれていた。
「毎晩のおねだりの口実は---?」
「子ぅがほし---いうことにしてますんえ。ほんまは、いまさら子ぅなんか、しんどおす。うちの躰がほしいいうとるだけどす」
味醂にひたした干し柿なますを口に入れ、
「ええお味や。うちの板場にもいうてやろ」
盃でうるおした。
先刻から半刻(1時間)のうちに、徳利を2本、ほとんど空けていてた。
里貴が女中を、隣の船宿〔黒舟〕の舟の予約に行かせた。
「里貴はんとこは、月に何度どす?」
「そんなふうに数えたことはないし、あちらのご都合次第ですから---」
「よう、辛抱してはりますなあ」
「そのときに、しっかり堪能していますから---」
そや---と横の包みから小冊子をとりだし、
「うちのシマでこないなもん、、売ってましてん」
『房内篇 第九章 おんなの十の悶(もだ)えのしぐさ』
手にとり開くと、
1.相手の裸の男を、裸のおんなが両手で抱きしめようとするのは、硬直している陽棒を、おのれの玉門にあてがってほいと望んでいる。
2.おんなが太腿(ふともも)をひらいてのばすのは、その根元の陰核や下の大陰唇をいじってほしいと望んでいる。
3.下腹をふくらましたら、陽棒を、いま、浅く挿入してほしいと望んでいる。
千浪と眸(め)と瞳(め)を見あい、微笑みをかわしたとき、玄関に今助(34歳)と平蔵(へいぞう 36歳)の気配がした。
あわてて小冊子を胸元へ押しこみ、案内に立つ里貴に、指を唇にあてた千浪が首をふった。
うなづくと、安心したようにも盃に手にした。
「新年そうそうに、ご厄介をおかけいたしやした」
謝る今助に、
「おんな同士、あけすけにおしゃべりでき、楽しゅうございました。黒舟をご用意しております」
藤ノ棚へ戻ると、ばあやのお倉(くら 59歳)が、数の子と紅白のかまぽこを配膳して消えるところであった。
平蔵がすばやく祝儀を懐紙に包み、
「今年もよろしく、な---」
2人だけになると、里貴が正座し、両手をつき、
「おめでとうございます。本年もあいかわりませず---」
平蔵も膝を正して受け、
「いたらぬ者なれど、よろしゅうに---」
笑いあって、酒になった。
隣りで部屋着に着替え、
「明るいけれど、寝衣にしましょうか?」
「真昼の姫始めも悪くなかろう」
「千浪さんたち、毎晩ですって?」
「千浪はあの齢で、子づくりを望んでいるらしいな」
狙いはそうではなさそうだと、千浪の真実(まこと)を暴露(ばら)そうとしたが、自分の本心も、できれば平蔵の子を待っていることにおもいいたり、そのまま、黙した。
4.おんながお尻を動かすのは、気分が高まり、躰のすみずみまでいい気持ちになっている証拠です。
「なんだって---?」
上の平蔵が訊いた。
下の里貴が、
「ほら、よくてよくて、止まらないのです。『房内篇 第九章 おんなの十の悶(もだ)えしぐさ』です」
「おいおい---」
「千浪さんからいただきました」
5.おんなが下からあげた両脚で男の躰を抱くのは、もっと深く入れてほしいという合図です。
「ふむ」
6..あげて男の胴を抱いた両脚の足首を男の背中で交差させるのは、玉門の中がむず痒(かゆ)いほど快感に痺れていることを伝えるしぐさです。
「10まであるといったな」
「う、ふん---」
その7.は---?」
「こう---あ---あっ」
「む---」
【ちゅうすけ注】『医心方』ついては槇 佐知子さん訳の筑摩書房版を参考にさせていただきました。
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コメント
『医心方』の[房内篇]って、このあいだから断片的に紹介されていますが、すべてがゆるやかで商業が繁栄していた家治の時代、〔木賊〕の元締の浅草あたりなら、絵入りの草子にして売り出していたかもしれませんね。
一種の性教育でしたでしょう。もちろん、それで儲けた者もいたでしょうが。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.01.16 05:35
>文くばりの丈太 さん
レスがおくれて、ごめんなさい。
ちょっと、どたばたしていまのして。
『房内篇』が、江戸時代の性教育書とはいいえて妙ですが、1,400年以上も前のものとおもうと、この世界は奥が深いですな。
投稿: ちゅうすけ | 2011.01.17 19:08