おまさの影(2)
(お鉄(てつ)はおまさであろうか。おれの遺跡前の銕三郎(てつさぶろう)の「銕」のつもりで「てつ」といったのではないか。おれへの呼びかけ---なにか困ったことでもおきたか? それならば、本所の屋敷へくるはずだが。まさか、久栄(ひさえ 30歳にこだわったのではあるまい)
本陣・〔中尾(置塩))藤四郎方から大井大明神(神社)脇の置屋〔扇屋〕は7丁(800m弱)と離れてはいなかった。
そのあいだ、おまさの思い出にふけっていた。
平蔵(へいぞう 37歳)が京都にいるあいだに、〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 享年=51歳)が歿した。
おまさは18歳のはずであった。
ということは、平蔵がしっているのは17歳までのおまさであった。
そういえば、10年前のあのときでも、おまさは5尺2寸(1m56cm)はあった。
父親の忠助は、〔通り名(呼び名とも))の〔鶴〕のとおり、痩せて脊が高かった。
それで、
(おまさは母親の血を引いているのかな)
おもったが、5歳のときに死別したと聞いていたので、泣かれては困ると、口にだしたことはなかった。
もっとも、久栄によると、血の道がとおっておんなとしての躰になると、躰型が変わるものらしい。
(おまさちゃんの脊がのびたのは、そのため---)
と、こともなげにいっていた。
10代前半のおまさは、ぷっくりとしていたが、別れのあいさつをしたときには、一人前のむすめらしく、すらりとした躰型になっていた。
「殿---」
提灯をで足元を照らしながら従っていた松造(よしぞう 31歳)が袖を引き、左手の横道に平蔵を押しこんだ。
5,6:軒先の醸造元〔神座(かんざ)屋〕から、蔵元の者らしい中年男に送られてでてきたのが岡っ引きの宇三(うぞう 38歳)らしいと、耳元でささやき、提灯をそばの天水桶の横へかくした。
2人がひそんでいる横道の前を通りすぎたのは、まぎれもなく、宇三であった。
「なにを告げに行ったのでしょう?」
「明日になれば、分明するさ」
遠ざかったとおもわれたころ、本通りへ出た。
平蔵が羽織袴姿の2本差し姿であったから、武家の少ない嶋田宿の横道にはふさわしくなかった。
置屋〔扇屋〕の本宅用の玄関は、露地の側にあった。
〔神座屋〕から1丁(100m余)あるかないかであった。
あたり一帯を取り仕切っている元締の万次郎(まんじろう 51歳)は、齢を感じさせない、黒く太い眉の精悍な風貌の主であったが、双眸(りょうめ)は笑みをたたえているように細めていた。
手みやげがわり---と懐紙に包んだ1両を、こともなく受け、そのまま長角火鉢の上の神棚へ供え、
「明日にでも、大井の社の、一の石鳥居の建て替えに、長谷川さまのお名で寄進させていただきます」
拍手をうって拝んだ。
大井明神社の氏子総代の一人でもあるのであろう。
(大井神社一の鳥居)
座り直し、
「音羽(おとわ)の元締のところには、いま、息子を修行に預けております」
「重右衛門(じゅうえもん 56歳)どんから、さすがに成長が早く、あと1年もおかずにお戻しすることになろうと聞いております」
「なにが成長なものですか。〔化粧(けわい)読みうり〕のこともまだ習得しきっておりませんわい」
「〔化粧(けわい)読みうり〕のこともご存じでしたとは---?」
「音羽の元締によると、あれの板行により、元締衆のシマ争いが消えたとか、そのことがなによりの結実であったと---」
話しながら、平蔵の袴の結び帯の右前に通されていた大井大明神のお守りに目をとめ、
「いつ、お下(さ)げを---?」
「10年前に京へ上りました途次に参詣させていただきました折りにお下げを受けました。このたび嶋田へのご縁ができたので、明日にでも返納し、新しくお下げをとおもっております」
「それはご奇特。して、このたびのご用向きは---?」
「元締のところの若い衆で、〔神座屋〕の呑み屋にいたおてつとやらいう酌取りと親しかってのがいたら、ぜひ、話しを聞きたいと存じまして---」
うなずいた万次郎が手を叩き、顔を見せた若いのに、
「辰(たつ)を呼んできな」
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