おまさが消えた(2)
「なにか、わかりましたら、お報せくださいますように---」
久栄(ひさえ 21歳)が権七(ごんしち 41歳)に頼み、思いだしたように、
「お島ちゃんはお幾つでしたか?」
【参照】2009年4月14日[〔風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業] (2)
〔早いもので7歳に---」
「いただきものの京人形を、お持ちくださいますか?」
「もってえねえことでございます。与詩(よし)お姫(ひぃ)さまへどうぞ」
「2つもありますから---」
久栄が人形をとりに部屋をでたすきに、銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、
「葬式の前後に、お紺(こん)という、30歳なかばの大年増が〔盗人酒屋〕へ現れなかったかな?」
「お紺---ですか? そういえば、あのおんながそうかな。ちょっと婀娜(あだ)っぽいところが隠せない、常陸(ひたち)なまりのある---」
「やっぱり---左馬が春慶寺にいなくてよかった。わかりました。こころあたりがないでもないから、跡目相続の諸式が片づいたら、あたってみよう」
【参照】2008年8月27日~{物居(ものい)〕のお紺} (1) (2)
【ちゅうすけ注】おまさの失踪(?)と、銕三郎の跡目相続のあれこれが重なったことが手遅れとなり、おまさの盗人入りが防げなかった。
亡父・〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)のつながりで、〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門(なおえもん)が、盟友・〔乙畑(おつばた)〕の源八(げんぱち)の下へ配した。
一流の引き込みおんなとなったおまさは、年譜に記したように何人もの盗賊の首領たちのもとで働いたせいで、銕三郎---家督して平蔵を襲名した鬼平---の下で、かけがえのない密偵として働けたともいえる。
それはそれとして、四壁菴茂蔦『わすれのこり』を観ていたら、深川黒江町の煮売酒屋で、屋号を〔泥棒酒屋〕としていた店があった、と。
ちゅうすけが所有しているのは中央公論社『続燕石十種 第2巻』(1981.7.25)に再刊されたもので、元版は明治40年に国書刊行会から出ている。
長谷川伸師の書庫は、まだ、確認はしていないが、池波さんは、自分の図書館のように利用しつくしていた書庫である。
そこで読んだとおもえる。
というのは、同書に、[長谷川平蔵]なる項目のほかに、入江町の局(つぼね)見世(私娼窟)や谷中いろは茶屋などが記載されているからである。
長谷川伸師の書庫の写真
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