お静の死(2)
「〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろそう 40歳)という一番小頭は、どのような仁ですか?」
平蔵(へいぞう 32歳)が訊いた。
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 55歳)のところには、3人の有能な小頭がいたことは、〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 享年53歳)が話してくれたことがあった。
〔大滝〕の五郎蔵、〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 39歳)、〔尻毛(しりげ)〕の長吉(ちょうきち 33歳)の3人であった。
【参照】2008年8月30日[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (2)
3人のうち、〔大滝〕の五郎蔵、〔五井〕の亀吉が組み、ならび頭(がしら)ということで独りだちすることになっている、と〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 61歳)が洩らした。
【参照】2010年7月6日[〔殿(との)さま〕栄五郎] (7)
源七のお頭・〔狐火(きつねび〕の勇五郎(ゆうごろう 57歳)と〔蓑火〕が親しいので、そういう話もたちまち伝わった---というより、勇五郎が相談にのったというほうがあたっていた。
その機に、一番小頭へ昇格する長吉は、名を長右衛門とあらためるということなので、今後はその名で記すことにする。
亀吉と長右衛門には会ったことがあるので、五郎蔵の人柄を聞かせてほしいとうながすと、
「亀吉どんを刃物にたとえると、よく研(と)がれた剃刀(かみそり)、五郎蔵どんは大仕事につかう鉞(まさかり)---どこまでも頼りになる仁です」
【参照】2008年10月10日~[〔五井(ごい)〕の亀吉] (1) (2)
「まさかり---なあ」
うなずいた小波(こなみ 38歳)が、8歳齢下の亭主・今助(いすけ)をこづき、
「ほかのお座敷のお客人のご機嫌をうかがってきますよって、どうぞ、ごゆるりと---」
消えた。
平蔵が酌をしてやりながら、さりげなく、
「おまさに、その後、会いましたかな?」
源七の盃から酒がこぼれた。
あわてて手拭でぬぐい、
「〔乙畑(おつばた)のお頭のところと聞いておりますが---」
目をふせたままで応えた。(清長 イメージ)
平蔵の中のおまさは、13,4歳から成長していなかった。
「達者でいれば、それでいい。出会うようなことがあったら、たまには顔をみせよ、久栄(ひさえ)---奥です、久栄も案じていると伝えていただきたい」
【参照】おまさの年譜
そりきり、おまさまのことは忘れたように、酒を含み、料理をつまんだ。
源七も口を開くきっかけがつかめず、気のりがしない様子で箸をうごかしていた。
【ちゅうすけ注】〔狐火〕の又太郎(20歳=今年)がおまさ(22歳=情事当時)に抱かれて男に脱皮したのは翌年21歳の春で、そのためにおまさは〔狐火〕から追放されている。すでに接触があり、源七はおまさの心のうごきを予想していたのではなかろうか。
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コメント
平蔵さんが瀬戸川の源七さんに会いたがったのは、おまささんの消息をたしかめるためだったのですね。ところが報らされたのは、お静さんの死。
平蔵さんのやさしさと、お久さんの登場の下ごしらえと、あくまで慎重なすすめ方。
おまささん、どこでどうしているのでしょう?
投稿: tomo | 2010.08.23 05:04
過去記事にリンクを張りめぐらせていただいているので、簡単に飛んでゆけます。
どなたかも感心してコメントしていらっしゃいましたが、ほんとうに配慮のゆきとどいたブログだとおもいます。
こういうのを、平蔵流の気くばりっていうのでしょうね。
投稿: yama@ | 2010.08.23 05:23
>tomo さん
おまさはどこにいるのでしょうね。
このあと2年後には、又太郎を脱皮させていますから、狐火の近くにいたとは推察している.のですが。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.24 04:07