井関録之助が困った
「長谷川先輩。親父は、本気のようなのです」
井関録之助(ろくのすけ 23歳)が、言うと、
「録(ろく)さん。お父上の不始末より、〔万屋〕からのお手当てが減らされることのほうが先でしょう?」
脇から、お元(もと 36歳)が口をはさんだ。
東本所・小梅村の大法寺の隣りの〔万屋〕の寮である。
高杉道場での稽古がすむと、父親のことで相談があると、録之助が銕三郎(てつさぶろう 27歳)をいざなった。
茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 51歳)が女中のみわ(19歳=当時)に産ませた鶴吉(つるきち 11歳)が乳母・お元とひっそりと暮らしているこの寮に、用心棒という資格で住みつき、13も齢上のお元とたちまちできて、5年になる。
【参照】2008年8月24日[若き日の井関録之助] (4)
「わかった。〔万屋〕の手当てからから話そう」
〔万屋〕は、これまで、鶴吉の用心棒寮として月1両2分(24万円)をとどけてきていた。
【ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者分野では、当今16万円前後が妥当としている。
【参照】2006年10月21日[1両の換算率]
しかし、この晩春の行人坂の大火で、得意先の3分の1ほどが消失したので、商売もそれだけ目減りしたので、半額にしてほしい、と言ってきたというのである。
もちろん、寮の生活費も3分の2に縮めるようにと、お元もいわれている。
商売の目減りを口実に、〔万屋〕の家つき女房・お才(さい 47歳)の強談判であろう。
大火のあと、諸色の値段があがっているので、じつは増額を申し出ようとおもっていた矢先の始末であった---お元も訴えた。
(訴える先が違う)
銕三郎(てつさぶろう 27歳)はおもったが、黙っていた。
「鬼はばあ、殺してやる」
鶴吉が叫んだとき、銕三郎はほおってはおけないと意を決した。
鶴吉は、そろそろ、母親がお才に毒殺されたことをに気がまわりかねない年齢になってきてい。
「掛けあってみるが、録さんの手当ての半減は、いたし方がないかも知れない」
「長谷川先輩。〔木賊(とくさ)〕〕の2代目元締・今助からも、振り棒師範の中休みを言われたのです」
「〔銀波楼〕も全焼したし、浅草寺境内の床店の多くも焼けたし、ここしばらくは、棒降りでもあるまいからな」
(目黒・行人坂の大火の影響は、録さんにまで及んできたか)
銕三郎は、火事の怖さをあらためて実感した。
「それで、録さんの父上のほうは、なんだ」
「新吉原が全焼して、廓(なか)があちこちに分散していることは、長谷川先輩もご存じでしょう。この先の小梅瓦町にも、どぶぞいにあった〔壬生屋〕というのが仮屋を建てて客を呼んでいるのですが、そこの妓(こ)に、親父がはまってしまい、金の無心に来はじめたのですよ」
「お父上は、何歳におなりかな?」
「精力の枯れどきの48歳です」
「たそがれ刻(どき)の雨はやまないと言うからなあ」
「そんな---」
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