〔田辺(たなべ)〕の十松
『鬼平犯科帳』文庫巻10の巻頭におかれている[犬神の権三]は、〔雨引(あまびき)〕の文五郎と、〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎との、命をかけた怨念の勝負である。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
(参照: 〔犬神〕の権三郎の項〕
〔落針(おちばり)〕の彦蔵をある因縁から殺害した文五郎は、いまは火盗改メの密偵になって、尻尾をつかみにくく凶悪な〔独りばたらき〕の盗賊を、見つけては指している。そのうちの1人が〔田辺(たなべ)〕の十松であった。
(参照: 〔落針〕の彦蔵の項)
年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:「田辺」という地名も、少なくはない。田が拓かれていれば、辺はつきものだ。京にも大坂にもある。
伊勢(いせ)国員弁郡(いなべごうり)田辺村(現・三重県員弁郡北勢町田辺)を採ったのは、かつて〔雨引〕の文五郎が属していたお頭〔西尾〕の長兵衛の本拠が伊勢だったから、とうぜん、組織はことなっていても、顔見知りか、あるいは手を借りたこともあったろうと推測したから。盗人集団同士での助っ人の貸し借りはないことではない。
探索の発端::記述はないが、だいたいの想像はつく。伊勢から名古屋へかけてが盗め場所の〔田辺(たなべ)〕の十松が、〔尾羽根(おばね)〕の留吉と連れ立って、骨休めに江戸へやってきて、深川の富岡八幡宮から洲崎の弁財天へまわり、門前の茶店の縁台にすわって素顔をさらしていて、宿をつきとめられたのであろう。
洲崎弁財天(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
結末:江戸を出ようと、朝発ちしたそのときに逮捕。死罪。
つぶやき:凶悪な心根の〔田辺(たなべ)〕の十松といえども、神域にいるというだけで、さして信じてもいないのに功徳を求めたりしたくなるときもあるのだろう。十松と留吉があげた賽銭は1分(約2万5000円)。人間のこころは、自分で信じているほど強靭ではない。
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コメント
>ご記憶がなかったら----
よくいうよ、管理者さん。
とうぜん、ご記憶があるわけないでしょ。
お盗めのやり方も、なじみの女も描かれてないんだから。
ても、こんなちょっと出の盗人まで、よくまあ、ひろいあげて---感心、かんしん。
投稿: 柳原岩井町裏店 おこん | 2005.07.09 11:03
>裏店 おこんさん
お久しぶりです。お変わりありませんでしたか。
『鬼平犯科帳』には、大物小物あわせて、400人を越える盗人がでています。
うち、「呼び名」をつけてもらっているのが約8割。うち、出身土地名とおもえるのが、また8割---つまり、260人前後とふんでいます。
これだれの人数、だれだって覚えられませんよね。
でも、注目はしてやらないと。
投稿: ちゅうすけ | 2005.07.09 11:24