盛り立て役---伊三次
密偵の 伊三次 が、いまは中央通りと呼ばれる下谷(したや)御成道(おなりみち)、鳥居丹波守(下野国壬生藩。3万石)の藩邸前(台東区上野3丁目)で刺される痛恨の物語が[五月闇]。
伊三次が刺された鳥居丹波守上屋敷前(尾張屋板・人文社)
刺したのは〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵。
連載がはじまって8年と5か月目、鬼平ファミリーにすっかりなじんでいた読み手の中には、伊三次の通夜をした仁もいたという。
細身の引きしまった躰がきびきびとうごき、ちかごろは密偵
として一分(いちぶ)の隙もなくなり、することなすことが
いちいち長谷川平蔵の「腑(ふ)に落ちる……」ようになっ
てきていた。
密偵の翳(かげ)りがいささかもない。役目を遂行する火
改方の人びとの緊張をときほぐし、笑いをさそうのは、同心
・木村忠吾と密偵・伊三次の、たくまぬ諧謔(かいぎゃく)
であるといえよう。
困難な探索が重苦しくつづけられているときでも、伊三次
は双眸をかがやかせて、
「なあに、もう一息だ。いま少しでござんす」
かえって同心たちをはげますのである。
同心・木村忠吾とならべられているが、忠吾がさそいだすのは笑い手が優越感をこめた笑声だ。
伊三次のは、提灯店(ちょうちんだな)の娼妓とのやりとりを話して笑わせるときでも人生の重みを思いださせる。やはり、生得の人柄だろう。
ふんい気をもり立て、乗せてやる気にさせるのはリーダーの大切な役目でもあるが、アシスタントに伊三次のような男がいると助かる。伊三次もそのことをわきまえて平蔵を補っている。
リーダーが応援団出身の部下を重宝するのも似た理由からだ。
伊三次の初顔見せ……というと、[猫じゃらしの女]との答えが返ってこよう。捨て子されて関の〔丹後屋〕の宿場女郎衆に10歳まで育てられたという過去が肉づけされるのは、たしかに[猫じゃらしの女]だ。寛政2年(1790)1月末の事件だった。
伊三次のなじみ、〔みよしや〕のあった提灯店は赤○(近江屋板)
が、その2年前の[あばたの新助]、同じ年の夏の[おみね徳次郎] 、秋の[夜鷹殺し]の3篇でも 〔小房〕の粂八 とともにちらっと名前がでている。
もっとも、上記の3篇とも伊三次をまったく肉づけしないから、通りすがりの人物なみの印象でしかない。
鬼平ファミリーの一員として認められるのは、ひとつの話の主役になってから……ということで、正式のファミリー入りはやはり[猫じゃらしの女]ということか。
念をいれておくと、[猫じゃらし…]のときの伊三次は31歳、>[五月闇]で37歳……というと、若い女性読者は「もっと若いと思っていたのにぃ」と叫ぶ。ひそかに恋人代わりの位置を与えていたのだろう。
そうそう、葬られた目黒の黄檗派・威得寺は明治20年に廃寺となり、瑞聖寺(港区白金台3丁目)へ合祀されたが、伊三次の墓がどうなったかは不明。
つぶやき:
岡場所〔みよしや〕のあった提灯店(ちょうちんだな)の俗称のゆらいは、「生池院(しょうちいん)店」がなまったものというから、寺の持ち地だったのであろう。
現在は台東区東上野2丁目。
すぐ上の切絵図---不忍池のに突き出た中島、弁財天の横に生池院が鎮座。
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コメント
ちょうど、何回か目の読み直しで、昨日「猫じゃらしの女」を読んだところだったので、タイムリーな話題で驚きました。
投稿: ぴーせん | 2006.07.25 15:13
>ぴーせんさん
ぴーせんさんのように、三読、五読をなさる方なら、鬼平書けば棒じゃなく、篇にあたりましょうね。
このコンテンツの第1行目の、橙色の伊三次をクリックなさいますと、〔朝熊〕の伊三次へ飛び、その後半部に、関宿の、伊三次が育てられた女郎屋の写真を掲示しています。
お時間のあるときにどうぞ。
投稿: ちゅうすけ | 2006.07.25 17:30
なぜか伊左次に肩入れしてしまうのかが、やっと解って来ました。
私の実家は神奈川県横須賀市の『安浦三丁目』という土地(ところ)なんですが、青線と言われる街でした。
我が家の前にアーチがあり『安浦花街』と書いてありました。
勿論、私が生まれたのは、売春防止法が施行された頃なので、違法なのですが、私が高校を卒業して、東京に出て来る頃まで、花街としての営業が行なわれてました。
安浦と言う街は、大正時代に安田財閥によって埋め立てられた街で、横須賀の海軍の遊興の場所として賑わっていたということです。
実は、祖母に聞いたのですが、私が生まれて間もない頃(昭和31年)、家のおもての乳母車に寝ていた私が居なくなった事件があったそうなんです。
近所の人達が、総出で探してくれたところ、海岸の防波堤の上に赤ん坊の私が、置いてあったそうです。無事で良かったねえという話になったのですが、誰が、さらってたんだ?という騒ぎになったのは、言うまでもありません。
後で判ったことですが、女郎屋で働いていた若い娘が、自分は子供が産めないかも知れないと思い、つい出来心で私を抱いて、連れて行ったのはいいのだけれど、しばらくしたら、不安になって、岸壁に置いて来たと、本人から祖母が聞いたらしいです。
二十歳を過ぎて、祖母から聞かされました。
祖母は、その娘が可愛そうで怒るに怒れなかったんだと、言ってました。
だらだらと、書いてしまいましたが、そんな事件があったり、生まれ育った土地が遊郭(とまでは言えない、けころの末裔がいた街)だったので、伊左次のことが気になるのかな?
と、思った次第です。
投稿: ぴーせん | 2006.07.26 22:49
>ぴーせんさん
小説を読むとき、人はだれでも、篇中のだれかに自分を仮託します。
ぴーせんさんの場合、その一人が伊三次だったのですね。
そして、その理由がとてつもなくドラマチック!
しかも、それはご自分でおえらびになったことではなく、
運命的なものだった---というところが、得がたいです。
もったいないようないいお話し、ありがとうございました。
投稿: ちゅうすけ | 2006.07.27 05:09