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2005.10.14

〔鎌屋(かまや)〕富蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、長篇[迷路]である。この篇の書き出しは、同心・細川峯太郎が博打の味をおぼえ、香具師の元締の〔鎌屋(かまや)〕富蔵に70両もの借金をつくってしまったところから始まる。
ところがこの峰太郎、どしたはずみにか、浅草・新堀川の河岸地の居酒屋〔豆甚〕にいた女(25,6歳)に抱かれ、もらった5両から運がつきっぱなしで、富蔵への借りは返したうえに50両も手元にある。
そのことはいい。浅草・福井町で人入れ稼業をしている〔鍵屋〕富蔵---である。
表の〔請負宿〕として、浅草から本所へかけての旗本屋敷へ中間などの派遣をしているのだが、裏では浅草・御蔵前から新堀川東岸一帯の盛り場と寺社の門前の見世物や屋台店からテラ銭を集める香具師の元締をやっている。
さらに、諸方の賭場へも顔を利かせてもいて、聖天宮下の民家で昼日中から開かれている賭場で、乾分の〔朝熊(あさくま)〕の宗次を透して細川同心へ博打の元手を貸したのも裏の商売の一つであった。
(参照: 〔朝熊〕の宗次の項)
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真土山聖天宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

222

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:2代目の富蔵自身は江戸の浅草・復井町の生まれ(現・東京都台東区浅草橋1丁目)
初代は、京都市下京区鎌屋町の出で、江戸へ下ってきて裏稼業でのしあがったのであろう。
よもや、石見(いわみ)国美濃郡(みのこうり)納田(のうだ)郷の鎌屋(現・島根県那賀郡三隅町岡見)ではあるまいな。浜田藩(6万石)の上屋敷は大名小路だし、中・下屋敷とも浅草近辺にはなかったから。

探索の発端:細川同心が、〔豆甚〕で女に抱かれ、小遣いをもらい、早朝に役宅へじかに現れたのに不審をいだいた鬼平が、細川の博打をつきとめ、聖天宮下の賭場に目をつけた。というのは、銕三郎時代の鬼平も、何度か足を運んだことのある賭場だったからである。

結末:〔鎌屋(かまや)〕富蔵は、香具師としては「筋が通っている」元締で、町奉行所にも協力しているということで、火盗改メ方は手をつけない。

つぶやき:細川同心が博打をおぼえたことについて、鬼平は「心得ていても押さえきれぬ。それが、のむ、打つ、買うの三カ条だ」と達観している。

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